映画 『女系家族』

監督:三隅研次、原作:山崎豊子、脚本:依田義賢(よだ・よしかた)、撮影:宮川一夫、照明:中岡源権、美術:内藤昭、録音:海原幸夫、音楽:斎藤一郎、主演:京マチ子、若尾文子、1963年、111分、カラー。


大阪・船場の問屋の当主が死ぬ。当主には娘が三人おり、代々家付き娘が婿養子をとる女系(にょけい)家族だが、当主の死去を機に、三人はじめ、問屋に長年仕えてきた使用人までもが、膨大な遺産相続に一枚噛み、ぶんどり合戦が始まる。

そこに当主の隠し女が登場し、娘たちは遺言相続とこの女への対処とが重なり、大混乱となる。

欲にかられた人間の醜さや駆け引き、さらに男女の情を掛け合わせた痛快な娯楽作品。

昭和38年の映画だが、カラー作品。


矢島家の三人の娘は、出戻りの長女・藤代(京マチ子)、養子をもらい、当主のもとで家業を継いできた次女・千寿(鳳八千代)、まだ学生の三女・雛子(高田美和)で、藤代は舞踊の師匠である梅村芳三郎(田宮二郎)に何かと相談し、やがて懇(ねんご)ろな関係になる。雛子はまだ若いという理由から、叔母である芳子(浪花千栄子)が相談相手につく。


矢島家の大番頭は宇市(ういち、中村鴈治郎)であり、当主は遺言状をこの宇市に預けていたため、自動的に宇市が遺言執行人となり財産目録も作る役目になるが、長い間の奉公に対し自分には何の配慮もないことがわかると、いろいろ悪知恵をはたらかせ、自分もおこぼれにあずかろうと企む。君枝(北林谷栄)という愛人がいる。

当主の愛人・浜田文乃(若尾文子)は、一見欲もなく「仰山なことはしてもらわなくていい」と言いながら、ラストで矢島家の面々にどんでん返しを食らわす。


いかにも山崎豊子らしく、物欲・色欲の権化と化した人間が入り乱れる。そのストーリーが脚本となり小気味よい展開がつづく。この映画は脚本と撮影・演出の勝利だろう。もちろん、このころが最高に美しい京マチ子(当時、39歳)と若尾文子(同、30歳)を配し、和服や骨董、家屋など、すべてに和の味わいばかりを映し出し、ストーリー同様、観ていて充分楽しめる。


文乃が初めて本宅である矢島家を訪れたときの芳子らとの対決や、文乃が懐胎していると知り、千寿が依頼した医師が文乃の家で診察するシーンなど、きれいな女たちがきれいな衣装を身に着けながら、ほとんどホラー映画のようでえげつない。


ストーリーはわかりやすいだけに、映画だからできることとして、ちょっとしたしぐさやカメラワークによって、そのシーンがきちんとシーンとしての意味をもってくる。ベテランの監督、カメラならではだろう。


すったもんだしたあと、三人の娘は京都に小旅行に出る。それまで争ってきた三人が、ごく普通の姉妹として言葉を交わし合う。このシーンは、いわば嵐の前の静けさとなるが、この場面転換を入れたため、ラストへ向けての流れが一挙に締まった。


タイトルロールでは、画面の半分より下にスタッフ・キャスト名が出るが、上半分は金魚鉢のなかの三匹の金魚であり、三姉妹を象徴している。ラストは藤代が父親の墓参りに歩くシーンだ。


この映画が120分を切っているとは驚きだ。それほどに、単純におもしろい映画なのだ。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。