監督:山本薩夫、原作:山崎豊子、脚本:橋本忍、撮影:宗川信夫、編集:中静達治、音楽:池野成、主演:田宮二郎、田村高廣、東野英治郎、1966年、149分、白黒、シネマスコープ、大映。
何度観てもおもしろい。DVD(デジタルリマスター版)でこれほどきれいな白黒画面になっているのは驚きだ。
映画化が始まったあと原作がさらに続けて書かれたため、里見助教授が大学を去るところで終了となっている。
国立・浪速(なにわ)大学医学部第一外科助教授・財前五郎(田宮二郎)は、実力・名声ともに次期教授の第一候補であったが、あと半年余りで退官する東(あずま)教授(東野英治郎)は、傲慢不遜でスタンドプレーの目にあまる財前を疎ましく思っており、教授選に向け、医学界の重鎮、東都大学の船尾教授(滝沢修)の力添えを頼み、財前の対抗馬を立てる。
財前は自分の岳父、財前又一(石山健二郎)とその属する医師会の人脈を頼りに、医師会会長と大学同期である医学部長兼第一内科教授の鵜飼(小沢栄太郎)を取り込み、教授選を自らに有利になるよう工作を進める。又一は一開業医であるものの、金の力にものを言わせ、それにより教授選で財前五郎は、かろうじて過半数を獲得し、からくも教授に昇進する。
一方、財前は教授選の前ころより第一内科の里見助教授(田村高廣)から、胃の噴門部に癌の見つかった患者の治療を依頼され、転科後手術したが、教授選のさなか、その患者は死亡する。手術前後に誤診があったなどとして、その患者の妻は財前を訴え、手術の是非は法廷に移るが、結果的に原告側の請求は棄却され、財前は勝利し、患者側に有利な言動を繰り返していた里見は、鵜飼により地方大学へと転任させられることになる。里見はすべてに嫌気がさし、辞表を提出して病院を去る。
膨大な登場人物をうまく整理し、構図をわかりやすくした脚本、特にシーンからシーンへの渡りがみごとだ。また、財前五郎は欲に憑りつかれた特別な男ではなく、どこにもいる男であるという描き方もよい。
冒頭は実写の手術シーンから始まるが、手術室を出てくるとその患者の妻が深々と財前に頭を下げ礼を言う。財前は岡山にいる実の母親に現金書留を送り、宛名を書きながら、苦労をかけたおかあさんのためにも必ず教授になると独白する。こうしたシーンを冒頭近くに置き、財前に普通の人物像を与えている。
出世欲の権化と見られがちな財前を、よくある人間として描き出した導入がすぐれており、さらにまた全編通じて身につまされ共感しながら観られるのは、この東と財前の関係は、俗にいう上司と部下との関係との相似形でもあるからだろう。
白衣を着てはいるものの、選挙で勝つための現ナマ工作は、ほとんど政治の世界と同じであり、教授による総回診のシーンや、部下に対する財前の指令、それを保身のために忠実に守る部下たちの態度からも、国立大学医学部での旧態依然とした封建的権威主義的組織の実態が露骨に描写されている。
教授選の裏側は、財前又一の言うセリフ、「向こうが権力で来るのなら、こっちは金や!」に象徴される。
スピーディな進行、登場人物それぞれの際立った個性描写、ベテラン俳優陣の演技に加え、効果的な音楽にも注目しておきたい。
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