映画 『二十四の瞳』

監督・脚本:木下恵介、原作:壺井栄『二十四の瞳』、撮影:楠田浩之、美術:中村公彦、音楽:木下忠司、主演:高峰秀子、1954年、156分、モノクロ。


瀬戸内海の小豆島を舞台にした小学校教諭・大石久子(高峰秀子)の公私にわたる心情の変遷を中心に描かれた叙事詩的映画である。


昭和3年4月4日に、大石が島の分校に着任し、1年生の出席をとるところから、昭和8年に本校で、その生徒たちと再会し、進路の話などをはさみ、昭和16年、男子生徒が出征し、戦後その多くが戦死した事実を踏まえながら、終戦の翌年昭和21年4月4日に、再び分校で教壇に立ち、かつての教え子の妹や子供を前にするあたりまで、戦前戦後18年にわたる時の流れを描く。


かつて観た印象や、おそらく観ていない人の感じからすると、題名が示すように、二十四の瞳、すなわち、初めて受け持った12人の生徒が主役のような感じに映るだろうが、主役はやはり大石であり、<二十四の瞳を見つめる大石の心情>が主題となっている。また、教師と教え子の関係だけに終始しているわけでもなく、大石自身の夫や子供らに起きる出来事などもとらえている。大石の心情が主題とあれば、自然とそうなるであろう。


小学校唱歌や軍歌などがふんだんに使われ、冒頭のタイトルロールからすでに「仰げば尊し」が流される。


貧乏な島の子供たちの家庭では、誰ひとり自分の思うような進路に進めず、男子は軍人にあこがれ戦死し、一人生還した者も全盲になっていた。そうした子供らの不幸を目の当たりにしながら、大石自らも夫を戦争で失い、末っ子は空腹から柿を取ろうと木登りし転落して死亡する。


軍人になりたいという男児の相談を受けた大石が、戦争に行って死ぬよりおうちを継いだほうがいい、と言ったことを校長が聞きつけ、大石を呼んで注意するところなどもあり、大石は6年生を卒業させたところで、教師を辞めてしまうが、その後も教え子の家を回り、励まし続ける。


ラストに近いところで、大石に対する謝恩会が、料理屋をしている生徒の家の座敷で開かれる。生徒に導かれて座敷に上がろうとした大石の目には、彼女らからの贈り物が床の間に置いてあり、思わず涙する。


今では全盲になった教え子が、みんなが1年生のときに撮った写真を手にし、指でなでながら、ここにいるのは誰それだ、というシーンは感動的だ。

この写真こそ、全編を通じ、大石にもそれぞれの生徒にも、最大の思い出となり、辛い日々にそのつどかつての自分を思い出させるよすがとなっているのである。


1年生、6年生、成人後と、似たような風貌の男女を選んでいるので、まるでそのまま、それぞれの子供の成長を見るかのようである。二十四の瞳が、その日その時に生まれたことで、時代に翻弄され、戦死したり、他家に出されたりするようすがよくわかり、実際にこうした人々がいたこと、さらに言えば、日本のあるところにもこうした不幸があったことを、あらためて描き出した作品だろう。


つまり、この映画は、教師と教え子の学校物語ではなく、教え子を見つめる教師の目を通じて、間接的に反戦を謳った映画である。原作者が『橋のない川』などを書いた壺井栄ということからも納得である。


映画として充分に感動的な名作であり、涙することを禁じ得ないが、昭和29年の作品ということもあり、その時代の要請からして、作らねばならぬとして作られた感じもある。音楽は作曲者がいるものの、ほとんどがすでにある楽曲で、音楽を編集したに過ぎないと言われてもしかたない。


瀬戸内海の風景がふんだんに使われ、懐かしい唱歌もよく使われ、建物や道具、バスなどを見て、これが日本の原風景かと思わせてくれる。


浦辺粂子、清川虹子、月丘夢路ら、私でさえ懐かしい顔を見られる。全盲の元生徒・磯吉を演じたのは田村高広、大石の夫は後に怪優となる天本英世で、ともに大変若い。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。