映画 『ロックアウト』

監督・脚本・編集:高橋康進、制作:on the road films、撮影:高橋哲也、音楽:手代木克仁、主演:園田貴一、島田岳、2008年、82分。

2009年のニューヨーク国際インディペンデント映画祭で優秀長編映画賞、最優秀監督賞、最優秀スリラー賞を受賞。


ある男がただひたすら車を走らせている。いかにも気分はくさくさしたようすで、どん底生活でヤケになって走らせているようだ。

やがて、用を足そうと、通りがかったスーパーの駐車場に車を止め、戻ってくると、助手席に見知らぬ男の子が座っており、キーもロックされて、車に乗れなくなってしまう。少年は、それが母親と乗ってきた自分の車と勘違いして乗ってしまったのだ。

男にさらわれてはいけないとじっとしていたが、ロックを解除した瞬間、後ろに隠れていた男に、ひきずり降ろされてしまう。

少年(島田岳)は直前に母親に叱られていたことから、自分を探す母親を無視し、一人で歩いていると、さきほどの男、広(園部貴一)の車が近寄ってきて、家まで送るというので、その車に乗る。・・・・・・


ロードムービーものだし、新作だがあまり期待しないで観ていたが、82分が2時間くらいに感じるほど、内容が丁寧に詰まっていて、好感をもてる作品だった。


一般にロードムービーというと、主人公の思考が中心で、行く先々で他人と出会い、そのつどおのれの過去や思考との格闘となり、そのあげく主人公が自殺したり、そうならないまでも、主人公の思考が破壊されることを暗示して終わるような、退屈な作品が多い。

この映画は、そういう類いのものからすれば異色で、よその子供との道行きが中心となり、男の思考が中心ではなく、実に日常的な事案、親への金の工面、勤め先の解雇、彼女とのふれあいといった数日前くらいの記憶とを往復するにすぎない。


そこへ、スリリングな味わいと、男の粗暴な雰囲気を演出することで、低予算の小品でありながら、きっちり映画という姿になっている。


広は粗暴な雰囲気をもつが、現実的にそういう状況になれば誰もがそうなるだろうという、誰もがもちうるような粗暴さで、ついつい広のほうに同情してしまう。

広はやや記憶が曖昧だという前提がよく、そのために、時折、同じ広が、メイクと髪型を変えて出現する演出が効果的だ。内面的には粗暴さをもつが、少年に対する態度や警官に対する態度など、人間的な自然や暖かみもあり、いわば普通の男なのである。


冒頭から知らされる彼女との関係が、脚本上もう一つの伏線となっている。それも合わせ、ラストに向けて辻褄も合い、いろいろ散らかった素材が収斂し、少年と母親の乗った車と男の乗った車がすれ違うラストシーンとなり、後味よい仕上がりとなっている。


あえていえば、もうちょっと早めにカットして次のシーンに移ってもいいのでは、と思うところが何カ所かあるが、わざとそうしたのなら、カットの余韻を残したかったのだろうかと、善良な解釈をさせるような、誠実な制作姿勢を感じる。


主役の園部貴一は初めて注目したが、なかなかしっかりとした演技ができていた。 


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。