映画 『一枚のハガキ』

監督・原作・脚本:新藤兼人、撮影:林雅彦、編集:渡辺行夫、音楽:林光、主演:豊川悦司、大竹しのぶ、2011年、114分。

新藤兼人の遺作となった。


大東亜戦争末期、赤紙で召集された中年男子100人は、新しく来る予科練生(海軍飛行予科練習生)の宿舎となる奈良県の天理教本部を清掃し終えた。

その一人、森川定造(六平直政)には妻、友子(ともこ、大竹しのぶ)からハガキが届いていたが、検閲のため伝えたいことを書けないため、親友の松山啓太(豊川悦司)に、もし自分が死んだら、ハガキは読んだ、と友子に伝えてくれるよう頼む。

100人のうち、上官が引いたクジにより、60人はフィリピンの戦地に船で向かうことになっており、定造はそのうちの一人に入っていたからであった。

定造は戦死し、遺骨もないまま、英霊と書かれた札だけが、木箱に収められて返ってくる。・・・・・・


特段、おもしろみや発見といった映画鑑賞の楽しみはないが、堅実かつ誠実に撮られた一本には違いない。『午後の遺言状』(1995年)に近い雰囲気がある。

政治的思想的に戦争を糾弾するような反戦的姿勢はないが、夫や再婚したばかりの定造の弟・三平さえも、召集されては戦死するという事実は描写され、主役である友子の悲嘆と憤りを通じて、戦争を恨むという姿勢は現されている。

しかし、そこだけにとどまらせず、何をおいても生きていくというストーリーに収斂させており、監督の狙いは、「生きてあること」に照準が向けられているのがわかる。


友子や定造の父(柄本明)が絶叫、慟哭するシーンはあるが、理屈や論理で語るのではなく、妻あるいは女としてのやりきれなさという感情に絞られた展開となっている。

ひたすら悲しいストーリーというわけではなく、友子を慕う吉五郎(大杉漣)などによる滑稽なシーンを入れることを忘れていない。


ラスト近く、啓太と友子は結ばれ、友子の嫁いだ同じ土地に、麦を撒き、麦を踏み、やがて金色の麦畑が一面に映し出される。

ひと粒の麦、もし死なずば、とは聖書の言葉であるが、啓太の発案でそうしたのである。


カメラは端正ではあるが、あまり大きく動かず、カメラワークのおもしろみはない。いわゆる昔からのモンタージュ形式で畳み掛けるでもなく、ワンシーンのカット割も少なく、定点で左右上下にパンしないからだ。

後半は、定造のハガキを持って訪ねてきた啓太と友子のなりゆきになるが、その第二幕の始まりに移動と長回しがあり、このシーンは力強い。


定造の藁葺き屋根の家や途中の山道、啓太の実家や釣りのシーンなどを除けば、ほとんどがスタジオセットでの撮影だ。

もう少し外に出ていてほしいものだ。


大竹しのぶのがなりたてる演技は好きではないが、本当に細かいところで演技のできる女優だと思う。


日常性の地平

日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。