映画 『美しさと哀しみと』


監督:篠田正浩、原作:川端康成、脚本:山田信夫、撮影:小杉正雄、編集:杉原よ志、美術:大角純一、照明:中村明、録音:栗田周十郎、タイトル画・絵:池田満寿夫、主演:山村聰、加賀まりこ、八千草薫、1965年、106分。


ある年の暮れ、作家の大木年雄(山村聡)は、京都で除夜の鐘を聞くため新幹線に乗っていた。京都には、かつて少女時代に身ごもらせた上野音子(八千草薫)がいたからである。

京都に着き、電話で音子に知らせると、翌日年雄を迎えに来たのは、音子の弟子、坂見けい子(加賀まりこ)であった。・・・・・・


年雄はかつて、16歳であった音子との間に子をなしたが、誕生後すぐにその子は死んでしまい、その経緯を書いた小説「十六七の少女」で、作家生活に入った経歴をもつ。

年雄には妻、文子(渡辺美佐子)と息子、太一郎(山本圭)があった。

今は日本画家として絵を描いている音子には、音子を師として、また、愛の対象として慕うけい子がいたが、けい子は音子の過去を知り、音子にひどいことをした年雄に復讐するため、年雄や太一郎に近づき、年雄の家庭を破壊するようたくらむ。


女優がみな若いせいもあるが、女優=きれいな人、である時代の映画だ。

川端の原作は遠い昔に読んだが、ほぼ忠実に脚本化されているように思う。

年雄の自宅は北鎌倉で、音子は京都にいる。


冒頭の嵯峨野の風情や知恩院の鐘の音など、京都の風光明媚を背景に、師弟を越える間柄の音子とけい子、年雄と太一郎親子を誘惑するけい子を軸に、それぞれの慕いあう関係、ちらちらと消えては現れる嫉妬心などを、文学的なセリフ回しと、意図的な長回しや演出で描き出している。


小悪魔と言われた加賀まりこが男たちを誘惑する構図は、まさしく小説のなかでしかありえそうもないが、うなされて起きた八千草薫の手を噛むシーンなど興味深いシーンも多い。


文学作品らしく歴史にからませた逸話なども取り混ぜながら、日本情緒や女の情念を、巧みに描き出している。

その一方で、映画のなかで音子の描く絵や、タイトルバックの絵は、当時売り出し中の池田満寿夫が描き、音楽は武満徹の現代音楽を使い、独特の心理描写にひと役買っている。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。