映画 『ピエル・パオロ・パゾリーニ/ソドムの市』

監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ、原作:マルキ・ド・サド『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』(フランス語原題 Les 120 Journées de Sodome, ou l'Ecole du libertinage)、脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ、セルジオ・チッティ、撮影:トニーノ・デリ・コリ、編集:ウンベルト・アンセルッチ、音楽:エンニオ・モリコーネ、主演:パオロ・ボナチェッリ、1975年、118分、伊仏合作、原題:Salò o le 120 giornate di Sodoma


サドの『ソドムの120日』を元にしたパゾリーニの遺作。


ナチス占領下の北イタリアが舞台。人里離れた<サロ>という町にある巨大な屋敷のなかだけでの話。

そこで、高名な公爵ら四人の高い地位にある人物が、捕えてきた若い、というよりまだ10代くらいの男女を相手に、倒錯した性の数々を繰り広げる。


一応、地獄の門、変態地獄、糞尿地獄、血の地獄と四つの区切りがあるが、特段ストーリー性もなく、カメラに特別なものもなく、ひたすら異常な事態を見せられるだけで飽きがくる。


見ていて気持ちのよい場面だけではないので早送りしても支障ない。

ナチスらしきものは、時々聞こえる戦闘機の音くらいであり、四人の今までの仕事なども描かれていない。


それぞれの区切りに年増女の語り部が卑猥で異常な思い出話を自慢気に話したあと、フェラチオや男色、スカトロ、残虐な行為、奴隷的行為、サディズム的異常性欲などのシーンが連続する。

見るに辛くなるシーンが多く、こういう映画もあるのだなと思うくらいで、特に感動するような映画ではない。文字のままにしておけばよいものを、映像にするとこうなるということか。


しかしある意味、映像としてこれらをシーンとして仕上げたことに価値があるのだろうし、最初に女が思い出話をするへやなどは空間も広く、パゾリーニ自身の美意識というのははたらいているのだろう。

これはパゾリーニの遺作となった。この映画に出演することを強要された、少年の役者に殺されたという説もある。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。