映画 『レマゲン鉄橋』

監督:ジョン・ギラーミン、脚本:ウィリアム・ロバーツ、リチャード・イェーツ、ロジャー・ハーソン、撮影:スタンリー・コルテス、編集:ウィリアム・カートライト、音楽:エルマー・バーンスタイン、主演:ジョージ・シーガル、ロバート・ヴォーン、ベン・ギャザラ、1969年、117分、アメリカ映画、原題:The Bridge at Remagen


いい映画だね~!ほとんど文句なしだ。

あの『タワーリング・インフェルノ』の監督だ。


1945年3月、第二次世界大戦末期、ライン川左岸にある町レマゲン(ドイツ語の音としてはレーマーゲン)、そこには巨大なレマゲン大鉄橋がかかていた。敗色濃くなったナチス・ドイツ軍は、レマゲン鉄橋を通って、ドイツ領土に戻らざるをえない戦況となっていた。

一方、連合国米軍は、レマゲン鉄橋を渡り、ドイツ領に 進出する機会をうかがっていた。ドイツはこの鉄橋を爆破して、しばらく米軍を釘づけにし、米軍侵攻を阻止しようとしていた。

まさに、後半のこのレマゲン鉄橋での攻防が、この映画のヤマ場であり、映像上も緊迫感という点でも最高潮となる。


この映画の特徴は、幹部軍人の戦略的な攻防でなく、ほとんど全編を、第一線の兵士の目線で描き切ったところであろう。ドイツ軍にはドイツ軍の事情があり、米軍兵士の間には、それぞれの動機や葛藤がある。決して米軍をのみ賛嘆するのではなく、そこにおける兵士たちの実態やホンネ、戦地での友情や兵士としての意地なども盛り込まれ、内面心理の層の厚い映画となっている。


もう一つの特徴として、リアルな戦闘シーンがあげられる。専門的にみても、ライフルや戦車など、当時のものを使い、それぞれの実力さえ見てとれるというくらい、史実に忠実なようだ。決してワンパターンの映像を連続させず、ほとんどの場面が、そのためだけに撮影されている。それを編集のときに、大部分を捨てるようにカットをつなぐのだろうから、言ってみれば贅沢につくられた映画だ。

戦闘シーンそのものでなくとも、米軍がドイツの領地を歩き回るときなどの緊張感は、観ている側にも充分伝わる。すなわち、演出もうまいのだ。


圧巻はレマゲン鉄橋両端でのドイツ軍と米軍との息詰まる睨みあいと攻防線だ。途中で、急遽、ドイツ軍のしかけた爆薬をはずして、橋を壊さず、橋ごと米軍の支配下におく、という命令が出る。その間、ドイツ軍は必死に火薬の用意をする。このへんの細かい脚本もよく、カメラもバラエティに富み、よい意味でなかなか観客を安堵させてくれない。


もう一つ加えるなら、冒頭部分だろう。重量感のある機関車が映り、多数のドイツ軍の傷兵が、貨車で鉄橋近くまで送られてくる。それを追って、膨大な米軍の戦車の列が映る。オーバーカッセル寸前で、ドイツ軍の砲撃が始まり、その後、オーバーカッセル橋が爆破されるシーンがある。

後のセリフで、この橋の爆破で、米軍がドイツ領に入るためには、レマゲン鉄橋しか残っていないということがわかる。傷兵のなかには、老兵の顔があり、まだ子供のような顔も見られたが、これら傷兵は、オーバーカッセルの爆破で犠牲になったことになる。

ここで傷兵の顔をなめるように映しておいたことは、この映画のスタートを飾る意義をもつと同時に、その後の展開の映画的水準を初めに宣言したようなものだ。そして、この宣言がそのとおりに進み、そのレベルが維持されていったことで、この映画の評価は高くなったものと思われる。プライドを賭けた製作だ。


ドイツ軍クルーガー少佐(ロバート・ヴォーン)のシガレットケースの行方にも注目したい。

たしかに戦争を描いた一作品ではあるが、充分に重厚な作品として仕上がっている。こういう映画もあったのだ。だから、映画というのは観てみないとわからない。


戦争映画にも、こうして充分、エンタメ性は盛り込める。戦争映画に、男女の恋など入れると、とたんにふやけてしまう。

ドイツ軍の言葉も英語になっている。

オススメの逸品だ。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。