映画 『去年マリエンバートで』

監督:アラン・レネ、脚本:アラン・ロブ=グリエ、撮影:サッシャ・ヴィエルニ、編集:アンリ・コルピ、ジャスミーヌ・シャスネ、音楽:フランシス・セイリグ、主演:デルフィーヌ・セイリグ、ジョルジュ・アルベルタッツィ、サッシャ・ピトエフ、1961年、94分、仏伊合作、フランス語、モノクロ、原題:L'Année dernière à Marienbad


ロブ=グリエ自身が、黒澤明の『羅生門』に触発されて作ったと言っている。すなわち、正確には、芥川龍之介の『藪の中』が下地になっているということ。


自分のなかでは、映画好きというなら、これは押さえておかないと、という意地もあるほど、映画好きの世界では有名な映画なのだ。

だいたいのストーリーはあるし、言っていることはわかるのだが、現在と過去、言ってることの食い違い、などが目くらましのように次から次に出てくる。 

会話はそれほど多くなく、語りの部分が多い。文字通り、映像を楽しむ映画である。

 

男二人と女一人という、ストーリーの想像しやすい設定だが、記憶と時間がテーマになっているので、難解な映画という定評はある。


女(デルフィーヌ・セイリグ)、男(ジョルジュ・アルベルタッツィ)、男(サッシャ・ピトエフ)の三人のドラマではあるが、彼女らに名前はなく、順に、A、X、Mである。

王宮のようにゴージャスではあるが異様な雰囲気をもつ建物でのパーティ会場で、MはAと出会う。Mはかつて、Aと再会する約束をしていたはずだが、Aはそこに来ず、そのことをMはAに思い出させ、元の仲になろうとする。

一方、二人の間には、しばしばXが現われ、恋仲を邪魔しているようだ。Xは、かつての、あるいは、現在のAの夫か、または恋人のようでもあるが、定かでない。

M、A、Xの言うことは、すべて食い違っているようでもあり、誰かが忘れているだけのようでもある。


白黒ならではの、光と影の演出はもちろん、女性のまとうローブはシャネルの製作によるなど、映像のなかで舞台や衣装の美しさにも目がいく。

 

終始奏でられる催眠術のようなオルガンの音、頻繁に歩くように横に動くカメラ、カット割りの遊び、装飾や庭園の幾何学模様、背景は違うのに何度も出てくる彫刻、死人のような人々の存在感、鏡を多様した演出、ほとんど表情を伴わない主役3人とホテルに集う人々、必ず同じ人間が勝つ二人のゲーム…、 どこか不気味な雰囲気さえ漂わせながら、3人は確実にある方向に導かれていく。

 

誰が本当のことを言っているのか、本当のことはあったのだろうか、…そういう疑問には何の意味もない、と原作者アラン・ロブ=グリエは言っている。

終わってみると、これぞ<映画>なのだ、とうなずかされる。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。