映画 『必死の逃亡者』(改訂)

監督:ウィリアム・ワイラー、原作:ジョセフ・ヘイズ『The Desperate Hours』、脚本:ジョセフ・ヘイズ、撮影:リー・ガームス、編集:ロバート・スウィンク、音楽:ゲイル・キュービック、ダニエル・アンフィシアトロフ(クレジット無し)、主演:ハンフリー・ボガート、フレドリック・マーチ、1955年、112分、原題:The Desperate Hours


完璧! 何度観てもいい! これを観てない人に<映画>を語ってほしくありません。

サスペンスなのに、うれしくなっちゃうね。初めて観たときから記憶に残っていて、折に触れ観てしまう映画だ。この映画の魅力は何なのか。


監督のウィリアム・ワイラーはヒッチコックのようにサスペンスばかり撮っていたわけではない。『嵐ヶ丘』(1939年)、『女相続人』(1949年)、『ベン・ハー』(1959年)など多岐にわたるジャンルで映画を作った。『ローマの休日』(1953年)の翌年に撮られたのがこの映画。その後『噂の二人』(1961年)、『コレクター』(1965年)などの問題作も世に送り出した。


高級住宅街に建つ邸宅に、脱獄した三人の凶悪犯が侵入し居座る。そこから丸二日のなりゆきを描いたクライムサスペンスである。

脱獄したグレン・グリフィン(ハンフリー・ボガート)とその弟ハル・グリフィン(デューイ・マーティン)、それにグレンの仲間で凶暴にして粗野な大男サム・コービッシュ(ロバート・ミドルトン)の三人組が、大きな邸宅に侵入する。そこは、会社の重役であるダン・ヒリアード(フレドリック・マーチ)の家で、妻エリー(マーサ・スコット)、娘のシンディ(メアリー・マーフィ)、まだ子供の息子ラルフ(リチャード・アイアー)の四人家族であった。ラルフが学校に行き、ダンとシンディが同乗して出かけるとすぐ、グレンたちが乗り込んできた。何も知らず帰ってきたダンたちは驚くが、グレンの脅しもあり、とりあえず言う通りにせざるを得なかった。

グレンらは、愛人の女から大金が届くまでの当日深夜までの数時間居座る予定であったが、途中で女の車が交通違反で捕まったことにより、さらに一日延長して居座ることになる。ダンとシンディをいつものように送り出すが、ラルフには学校を休ませた。仕事に出ても、警察やその他に一切知らせるな、知らせればエリーとラルフを殺すと言われ、ダンもシンディもそれに従うしかなかった。シンディには恋人のチャック(ギグ・ヤング)がいた。そもそもシンディとの結婚に難色を示していたダンに加え、デートしても愛想のないシンディの態度に落胆しかかっていた。シンディがそう見えるのは、家の中にグレンたちがいることをチャックにも隠さなければならなかったからである。

ダンは翌日出社するが、外出時にホテルのドアマンに頼み、一通の匿名の手紙を警察宛てに渡す。そこには、脱獄囚がある家に潜んでいる、というものであった。警察の捜査は手詰まり感があったが、その手紙をきっかけに着々と進捗するようになる。・・・・・・


ストーリーは単純で難しくない。脱獄した悪党三人が、平和に暮らすある邸宅に侵入し居座るが、最後は警察に包囲されて殺されるというものだ。

グリフィンと勇敢な父親ダンとの対決を軸に話が進むが、三人組はそれぞれに自己主張するなどし、家族のほうは、ダンもシンディも家の外に出るものの家に残っている家族を心配し、犯人の要求どおり、警察や他人に一切他言せず、局面ごとに緊張感が漂う。

一方、冒頭から警察の動きも語られ、一片のクライムサスペンスとはほど遠い、厚みのあるドラマとなっている。クライムものでは、多くの場合、犯人側・警察側のどちらかに比重が置かれるのが常だが、本作品では、むろん犯人側のシーンが多いものの、後半からは警察の動きも手際よく描かれる。


脚本が細やかに書き込まれ、登場人物のキャラクターがきっちり描かれている。この四人家族は、こうなった場合に極めて気丈であり、極悪人に対しても厳しい態度で臨んでいる。この態度は、冒頭に出る日常の四人の姿とやりとりから素直に想像できる。この冒頭シーンがあるから、非日常の場合には確かにこうなるだろうと合点がいくのだ。

グレンらを含め、それぞれの人物が、そのやりとりやセリフからきちんと描かれ、何気ない細部にいたるまで演出が効いている。回想シーンはないので、リアルな緊迫感が途切れない。そして本作品が決定的に優れているのは、カメラワークである。


タイトルロールからファーストシーンにかけて、不気味な音楽とともに、高めの位置から街並みを舐めるように動くカメラは、まるで適当な獲物を物色するかのようで、たったそれだけの演出で観る者をうまく誘い込んでくれる。そして、壊れた自転車が庭先に転がっていることから、小さな子供のいる家として、ヒリアード家が狙われたのである。犯罪者側の視点からの導入だ。


カメラが人物の動きに沿ってパンし止まる、止まっている人物から動きパンして止まる、これらの動きがスピーディだ。初めてグリフィンが玄関先から一歩入って、一人でいたエリーに拳銃を突きつけ、一気に壁際に寄るシーンは、何でもないようだが、平和な家庭にいきなり凶悪と恐怖が舞い込んだことを実感させ、その後の一日半にわたる悲劇を暗示するダイナミックな演出だ。


フレームに二人または三人以上いるときのフレーム内の位置や遠近が絶妙で、アングルや引きなどもうまく組み合わされていて、プロの匠を感じる。そうしたカメラワークを活かすために、玄関ホール、そこから上がる階段、昇るとぐるりと半周するような二階の通路と各部屋が作られたのだろう。この吹き抜けの空間は、カメラを活かすには不可欠で、この場があることで、仰角・俯角・ローアングルなどが撮れたのだ。初めからこうした狙いがあったに違いない。


ハルは仲違いの上、ひとり先にこの家を出て、その後レルトランの電話ボックスで警官に射殺される。侵入したばかりのころ、見張っている窓のカーテン越しに、仲間を拾いに来た車の若者たちの楽しそうな姿を見たり、シンディがチャックに送られて帰ってくると、そのようすを見てニンマリするなど、兄のグレンとは違い、早く外部に出て、同じ若い仲間や恋人をつくりたいという憧れを映し出している。グレンと口論までして兄弟は別れるが、あっけなく死んでしまう。


おかしさなどに無縁で、ストーリーの運びかたがうまく、それぞれのキャラクターがきちんと細かく書き込まれ、それに沿ってカメラが動けば、サスペンスタッチの映画でさえ、実に高品質の作品になるという、見本のような映画だ。事実、充分楽しめる。

原題は The Desperate Hours で「死に物狂いの時間」「決死の時間」なので『必死の逃亡者』の邦題も、内容にふさわしい。


フレドリック・マーチ、ハンフリー・ボガートはじめ、捜査の陣頭指揮をとるジェス・バード(アーサー・ケネディ)など、緊迫した表情、体の姿勢、首をかしげる角度など、演技がうまい。そのうえ、撮り方や、わざとらしくなく効果的な演出を加えることで、質感の高い映画が出来上がるのだ。そう、しかしそれはあたりまえのことである。映画制作に対する情熱や映画としての主張だけでなく、制作の基本に対する誠実さを忘れていないだけのことなのだ。

それゆえこの監督は、恋愛モノであれ歴史モノであれ、いろいろなジャンルの映画が作れたと思うし、それなりの評価も得たのだろう。


こういう映画をもし二度めに観るときは、フレームのなかの主要人物でない部分に注意したり、人物のどこから上を映しているかなどに注意すると、作り手の匠が見えてくる。全体に優れた作品で、ただ恐怖感を煽るだけに終わらせない、ベテランの味わいがある。


ラストで、邸宅を警察に包囲され、グリフィンは空とわかっている拳銃を持ち、玄関の外へと投降する。直前にコビッシュが警官隊に撃たれたのはわかっているわけだから、警官隊に対する、これは彼のスタイルであり、凶悪犯としてのプライドだったのであり、そして最後の足掻きだったのだろう。巨大なサーチライトのひとつにその拳銃を投げつけた直後、彼は狙撃され死亡する。


ラストは、この悪党どもを呼び寄せた自転車が映され、ダンにやや疎んじられていたチャックが、父親に家へと招き入れられるシーンとなり、大団円となる。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。