映画 『米』

監督:今井正、企画:マキノ光雄、本田延三郎、吉野誠一、原作:脚本:八木保太郎、撮影:中尾駿一郎、編集:長沢嘉樹、美術:進藤誠吾、照明:元持秀雄、録音:岩田広一、音楽:芥川也寸志、助監督:鷹森立一、主演:江原真二郎、中村雅子、木村功、望月優子、中原ひとみ、1957年、118分、カラー。


昭和32年の映画であるが、カラー作品である。

助監督の鷹森立一は後に『夜の歌謡シリーズ』を撮る監督になる。

監督には『ひめゆりの塔』(1953年)『海軍特別年少兵』(1972年)『妖婆』(1976年)など力強い作品がある。


霞ヶ浦で稲作と漁業で生計を立てる人々の営みを丁寧に描いた作品だ。

戦後十数年の農村に生きる人々の生活を誠実なリアリズムをもって描き出している。そこには農業漁業に携わる人々に対する慈愛のまなざしが見てとれる。


ストーリーらしきものは、あるにはあるが、村の青年たちの生きざまの描写を中心に、男女の純情、恋愛、兄弟愛、親子愛、仲間との集いなどを、今では見られないような農機具、手仕事、風景とともに見せてくれる。

小作農地の問題、長子(長男)相続制の名残が、まだまだ色濃く残るなかで、百姓やさし網などのわずかな収入では、家族は食べていくのさえやっとだ。


ストーリーの途中とラストで人が死ぬ。事故死であり自殺だ。救いのない話が後半に語られるが、映画を悲劇にしようとしたのではなく、リアルに日本の農村の現実を描きたかったのにほかならない。葬式がラストシーンという映画は珍しい。


田植えから脱穀のころまでを描くが、しろかきも牛に引かせるやりかたであり、手で丹念に行われる田植え、足踏みによる脱穀、蛇の目傘、帆曳き舟、舗装されていない道など、かつての日本の農村の風景が、まことに勤勉で誠実な精神性のもとに成り立ってきたことがわかる。


田園風景も霞ヶ浦も美しいが、人々の生活は貧しくみじめでもある。


多少の滑稽みをはさむ以外、おもしろみもおかしさもほとんどなく、美しい自然のなかに、実は貧しい人々が力強く生きているありさまを、躊躇も気兼ねもすることなくありのままに描いてみせたこの作品は、間違いなく邦画の名作に数えてよいだろうし、日本人が忘れてならない現実を、この映画の存在によって思い出させてくれるのである。


加藤嘉、原泉、山形勲らの熱演も光る。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。