監督:溝口健二、脚本:成澤昌茂、原作:芝木好子(一部)、撮影:宮川一夫、編集:菅沼完二、音楽:黛敏郎、主演:京マチ子、若尾文子、沢村貞子、三益愛子、木暮実千代、1956年、86分、モノクロ。
溝口健二の監督作品としては遺作。
1956年(昭和31年)の制作当時にはまだ、売春防止法はできていないが、その成立前ころの、東京吉原の売春宿で生きる女たちを描いた作品。
からだを売る商売は今でも風俗営業として続いているものの、400年の歴史を引く浅草吉原の赤線地帯は、売春防止法成立により廃止される。
成人した子供をもつ母親、病人の夫と赤子をもつ母親、男をたぶらかして生き抜く女など、売春宿「夢の里」に働く女たちには、それぞれに理由がある。
売春宿といっても、構えやつくりは豪勢で、沢村貞子演ずる遣り手とその亭主の<お父さん>の差配する店で、女たちは、あるときは健気に、あるときはつっけんどんに振る舞う。
この宿で生きる女たちを、グランドホテル形式で描く群像劇であるが、ひとりひとりの女の過去と、ここで働かざるをえなくなった理由を含め、鮮やかに描いている。
ワンシーンごとに、定点カメラや長回しが効果的に使い分けられ、飽きのこない演出が仕込まれている。
身を売る商売の女でありながら、突き放し侮蔑するような表現はひとつもなく、こうして生きる女たちの苦労、みじめさ、逞しさを、しかし実にリアルに再現している。
まだ生娘である少女が、紅白粉(おしろい)を塗られて、初めて客引きとして入口に立つ。
まだあどけない少女は、先輩たちをまねて、ようやく柱の陰から顔半分を覗かせ、男に声をかける。
さえぎるように「終」の文字が出る。
こんなみごとなラストシーンがあるだろうか。
この一瞬をもって、観客はこの映画を頭の中に巻き戻すのであり、登場した女たちすべての、この店での始まりを物語るのである。
ファーストシーン同様、ラストシーンも映画の命取りになる。
こういうラストを撮る映画監督が注目されないはずがないのである。
戦後、こうした現実が日本にあった。この女たちの生きざまや苦しみは、今日においても、社会の底辺では、根本的にはほとんど変わっていないだろう。
華やかな映像でありながら、いろいろ勉強もできる映画だ。
それにしても、木暮実千代がこんなナリで出てくる映画は珍しい。
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