映画 『戦艦ポチョムキン』

監督・脚本・編集:セルゲイ・エイゼンシュテイン、原作:ニーナ=アガジャーノ・シュトコ、撮影:エドゥアルド・ティッセ、出演:アレクサンドル・アントノフ、ほか、1925年、75分、原題:Броненосец «Потёмкин» 日本公開は 1967年。


あまりにも有名な作品。これはショスタコーヴィッチの『革命』が流れるヴァージョンだ。

今からすれば短い映画だが、それがまた、人々とうじ虫、甲板上のドラマ、死者の呼びかけ、オデッサの階段、艦隊との遭遇、という五つの章に分かれている。


ロシアの戦艦ポチョムキンが、黒海を航行中、うじ虫のわいた腐肉やスープを食べさせられる水兵たちが、上官らに反抗する。上官らはその水兵らを、銃殺しようとするが、リーダー格のワクリンチュクの呼びかけで、その場で水兵と上官入り乱れての乱闘となる。


一人死んだワクリンチュクの遺体が、オデッサの港に置かれると、噂を耳にした市民らが、続々と港に集まってくる。市民の悲しみはやがて怒りに変わり、権力者に対する蜂起となる。

突然現れたコザック兵は、横一列に並び、階段を逃げまどう市民らに発砲する。映画史上、最も有名な6分間とされる「オデッサの階段」のシーンだ。これはポチョムキンから港への砲撃で収まる。


再び海上に出ると、向こうからやってきたのは、自分たちに賛同する仲間の艦隊であった。

ロシア革命さなかでの映画であり、内容的にも、市民革命推進であり、冒頭にそれらしい文も出てくる。


モンタージュ技法を用いた記念碑的作品と言われているが、もはやそれは今ではあたりまえのことになっているので、どこがすごいのかというだけで観ると裏切られてしまう。

モンタージュ技法とは、ある状況なり光景なりを、違う視点からとらえたカットをたたみかけて映し出し、観客に、よりリアルにその場を見せようとする方法だ。


この映画では、オデッサの階段や転げ落ちる乳母車のシーンが有名とされるが、冒頭からあらゆるところで見られる。水兵と上官らが、肉の塊の鮮度を確かめ合うシーンから、すでに始まっている。

モンタージュは、撮影に関する技法のようにみえるが、撮影後、カットをどの順に組み立てるか、また、各カットの長さをどうするか、にかかわるので、モンタージュはむしろ、編集の技法である。


こんなことは今ではあたりまえなのだが、サイレントの時代にこんなことをして、それを定着させることになったのだから、やはり一種の教科書的映画なのである。


それよりも、この映画の特徴は、シーンごとカットごとの力強さにある。

上官や、それに反抗するワクリンチュクら水兵のバストショットとアップ、うじ虫のついた肉の描写、悲しみにくれる老婆の涙、怒りに変わったあとの人々の顔、握られるこぶし、さらに、オデッサの階段で逃げまどう大勢の人々、撃たれた子供、振り向く母親、その子供の遺体を踏んづけて歩くコザック兵の足元、腹を撃たれた女性の腹と顔のアップ、その女性の乳母車の転げ落ちるようす、それに気付き顔をこわばらせる婦人、船のエンジンがフル回転するようす、これらにそのつど、映像として力と意味が込められている。


では、硬いシーンばかりかというと、そうではない。ポチョムキンがオデッサ港に入るときの港の風景、霧が出てきたオデッサの港、夕日に染まる海原、港にいるポチョムキンを応援しようと集まる帆掛け船の大群など、美しい映像もかなりある。


映画は映像であると同時に、編集なのだという思いを新たにした。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。