映画 『白夜行』

監督:深川栄洋、原作:東野圭吾(集英社刊)、脚本:深川栄洋、入江信吾、山本あかり、撮影:石井浩一、編集:坂東直哉、美術:岩城南海、音楽:平井真美子、主演:堀北真希、高良健吾、船越英一郎、2011年、149分。


題材自体が興味深く、初めから有利なポイントだ。

サスペンス風に進む全体のストーリー展開は『砂の器』に似て、ある事件の真相は、ラストに近いところで、まとまった形で元刑事・笹垣(船越英一郎)の回想で示され、それまで小出しにしていた手がかりは完成像として一挙に観客に示される。

ただ、映画の狙いは刑事事件だけでないことは、昭和55年当時のこの事件が、迷宮入りになったあとの展開で了解できる。


白夜が何を意味するのか…、現在の雪穂(ゆきほ、堀北真希)のセリフから推察できる。

真相が明らかになるにつれ、その事件が子供時代の雪穂と亮司に与えた心理的衝撃が途方もないものであることも描写され、そこまで描かれてきた、事件直後の二人、ハイティーンになってからの二人、そして現在の二人のありようが、フラッシュバックのように反芻される。


成人するまでに、常に、単純に暗い道のりなどとは言えない時間を過ごしてきた二人だが、心理表現を本人のナレーションにしたり、刑事が登場しながらあれやこれやとセリフを多くしなかったのは正解だった。

ラスト近く、事件を通じ、亮司(高良健吾)の気持ちに同情めいたものを覚えてきた笹垣が、亡き息子の影を亮司に重ね、亮司に話しかける。

この刑事は事件捜査中に、入院中の一人息子を失っているのだが、そのことと、ようやく相まみえることのできた亮司に話しかけるセリフ内容とが、強引に結びつけられたような感じがする。


刑事というより、一人息子を失った人間が、忌まわしい過去をもちながら現在まで生きてきた亮司に、いかようにそうした気持ちをはぐくんできたのかは描かれていない。脚本上、唯一の弱点だ。

しかし、全体的に、長さもストーリーに匹敵して必要なもので、長いとは感じない。ロケ地や小道具も行き届いていて問題ない。主役3人も、それぞれに抑えぎみの演技力が発揮されている。


前宣伝や広告がよくない。堀北は悪女役に挑戦?なんて書くから、そういう先入観で観てしまう人は多いだろう。悪女という語のイメージではない。『疑惑』の球磨子(桃井かおり)とは、人物像がかなり違う。

また、堀北に女が感じられない、というレビューもあるが、このストーリーでは<女を出してはいけない>のだ。雪穂は、ある意味、精神的異形(いぎょう)なのだから。


まだ若い監督だが、おそらく能力、体力のかぎりを尽くして仕上がっただろう作品だということは伝わる。

あえて遊びを入れようと、何ヵ所か不要なカットが入る。シリアスはシリアスに徹したほうがよいだろう。


ラストでの雪穂の表情…、亮司の遺体に目をやってから、自分のオープンする店に戻るまでの表情は、賛否両論を呼ぶだろう。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。