映画 『倫敦(ロンドン)から来た男』

監督:タル・ベーラ、アニエス・フラニツキ、原作:ジョルジュ・シムノン、脚本:クラスナホルカイ・ラースロー、タル・ベーラ、撮影:フレッド・ケレメン、編集:アニエス・フラニツキ、音楽:ヴィーグ・ミハーイ、主演:ミロスラヴ・クロボット、ティルダ・スウィントン、2007年、138分、モノクロ、フランス語、ハンガリー独仏合作、原題:A Londoni férfi(ロンドン人、The Man from London)

 

寒い夜遅くに、フランスのある小さな港に、ロンドンからの船が着き、二人の男がひと言ふた言、言葉を交わすと、一人が先に降り、そこに向けもう一人がカバンを投げ、それから降りる。

その光景を見ているのは、機関車の制御塔に一人で詰めているマロワン(ミロスラヴ・クロボット)であった。

しかしその直後マロワンは、先ほどの男二人が、岸壁の端で掴み合いの喧嘩をしているのを目撃する。・・・・・・

 

今の時代に、まだフィルム・ノワールのようなモノクローム・サスペンスを撮る人がいたとは驚きだ。

上映するにしてもミニシアター系映画館でしかありえない作品だろう。

ストーリーはどうということもない。セリフも最小限だ。独特なのは、徹底した長回しで、超のつくほどの長いカットだらけだ。

それは冒頭、マロワンのいる所からは真ん前に見える船の甲板、下に見える停止した列車とホームを映すところから既に始まり、ラストまで長回しの手法が続く。

定点を少し横移動する長回しから、俳優の間を回り込む長回しまであり、キューブリック、ヴィスコンティ並みの演出とリハーサルが想像される。 


この映画は明らかに、ストーリーやセリフで観る映画ではなく、カメラワークを楽しむ映画だろう。

途中、真っ黒になった画面を長く保たせたり、ラストは一転、真っ白にするなど、意図的なカメラ演出だらけだが、といって、ロウアングルやクレーンの使用などはなく、もっぱら目の高さに終始している。

遠近を長回しで撮りきる職人芸には敬服する。

 

もう一つの特徴はやはり、光と影の演出で、そのためにこそモノクロにしているのだから当然のことだ。

俳優たちはベテラン揃いなのだろうが、一部言い合いになるところ以外は、寡黙な演技が必要で、ストイックに振る舞わなければならない。ただ、犯人の妻役の女優の演技はみごとだ。 


これを観た大半の人は眠くなってしまうかも知れない。

しかし、多少ともいろいろな映画に接してきた人からすると、とても新鮮であり、その映画技法に酔うことができるだろう。

一般向きではないかもしれないが、ノワール好きで、カメラワークで観る自分にとっては、すばらしい映画に出会ったと思う。


 

日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。