映画 『熱いトタン屋根の猫』

監督:リチャード・ブルックス、脚本:リチャード・ブルックス、ジェームズ・ポー、原作: テネシー・ウィリアムズ、撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ、編集:フェリス・ウェブスター、音楽:チャールズ・ウォルコット、主演:エリザベス・テイラー、ポール・ニューマン、1958年、108分、原題:Cat on a hot Tin Roof


アメリカ南部、ミシシッピの大農園一家の虚偽と真実の物語。

マギー(エリザベス・テイラー)と夫ブリック(ポール・ニューマン)夫婦には子供がなく、顔を合わせれば口論となる。

ブリックには兄グーパーがいて、妻メイは6人めの子を身ごもっている。

この兄弟の偉大な父であり、この屋敷と大農園の当主であるビッグ・ダディが、入院先から帰ってくる。ちょうどその日は、ビッグ・ダディの65歳の誕生日で、いずれ遺産をものにしようとするグーパー夫婦は、オーバー過ぎる歓迎をする。

しかし、付き添いの主治医はブリックに、ビッグ・ダディがそう長くないことを知らせる。・・・・・・


『去年の夏、突然に』(1959年)と同じ、テネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化。これもやはりセリフの応酬が多いが、他の映画化作品よりは観やすい。

ビッグ・ダディの妻を入れ、6人の主要人物以外に、死んでいるので登場しないが、ブリックの友人スキッパーも、ブリック夫婦の疎遠さの鍵をにぎる過去の人物として重要だ。


大邸宅の主が明日にも死ぬという段になって、夫婦間の誤解がとけ、ビッグ・ダディとブリックという父と子の心の通った話が交わされる。

Mendacity(虚偽)や欺瞞、偽善という言葉が頻繁に出てくる。ブリックとマギーが他人どうしのような夫婦から、このわずか一日足らずの経過ののちに、ようやく普通の夫婦に至るまでの格闘ぶりは痛々しいほどで、それだけにラストは後味がいい。


男盛りでありながら、ある自責の念や妻への疑惑から、酒に溺れるブリックを、ポール・ニューマンがうまく演じているし、夫を心から愛していながら、顧みられさえしない妻マギーを、エリザベス・テイラーも熱演している。

若く美しく魅力的な妻を目の前にしながら、キスもせず、抱こうともしない夫と、二人きりでへやにとじ込もっているだけでは、マギーは、まさに自身のセリフにあるように、熱いトタン屋根に置かれた猫に等しい。


元が劇作であるから、多分に演劇的演出の濃い映画ではあるが、終盤からラストへの収束に勢いがあり、言いたいことをすべて言わせるセリフの掛け合いも効果的で、密度の濃い映画となっている。

会話劇に近いつくりになっているため、すべてが理論的に運ばれ、それだけに、型破りなエンタメ性には欠けるがやむを得ないだろう。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。