映画 『ミスト』

監督・脚本:フランク・ダラボン、原作:スティーヴン・キング、撮影:ロン・シュミット、編集:ハンター・M・ヴィア、音楽:マーク・アイシャム、主演:トーマス・ジェーン、2007年、125分、アメリカ映画、原題:The MIST

 

霧という一見ロマンチックな気象現象を逆手にとって、何も見えずすべてを隠す現象として使ったのがまず正解。しかも、スクリーンのほうがわかりやすいけど、上から覆いかふざるイメージになって、人々に対する圧迫感がすでに前提となっている。

 

ボケっと観てるとわかりにくいが、この作品、最高にバカっ丁寧に仕上げられている。ストーリーの本道は変えずに、ひとつひとつの出来事や状況をしつこいくらい練りに練って仕上げている。そのしつこいくらいの丁寧さが、パニック映画でありながら、力強い完成をみた。そこを見抜けるかで映画を見る目も試されようというものだ。

CGを多用する映画は現実離れして嫌いだが、この程度に抑えられているのはよい。

 

スーパーマーケットという閉鎖的ワンステージでありながら、敵との戦いという構図にわかりやすい揺れがあり、スーパー内でもカーモディ夫人の存在のみならず、それぞれの場面でいさかいが生じ、どこに落ち着くのだろうとハラハラさせられる。

きちんと片付かない出来事、つまり結論が知らされず野放しにされたままの出来事もあちこちにある。

一方、遊び心は、それこそふんだんにあるわけで、グロテスクな昆虫や始祖鳥のような怪鳥(けちょう)、内蔵から飛び出す蜘蛛?の子など、ホラーといわれる所以になっている。


観客を参加させた上、観客の心理を掴むのも巧みで、デヴィッド(トーマス・ジェーン)が怒りたいときには観客も怒りを覚え、副店長のオリーが狂信的なカーモディ夫人(マーシャ・ゲイ・ハーデン)を一発で仕留めると、観ているほうもスッキリするといった具合だ。

 

密室劇はストーリーが滞りがちで、そのぶんカメラが活躍しないと退屈になるわけだが、この映画の秀でた点は、親子がスーパーに入ってから、霧が単なる霧でなく不気味な世界の到来であることを、そこにいる買い物客すべてが認識するくだりだ。鼻血を出した老人が喚きながら店に飛び込んでくる姿や、サイレンの音や地震の揺れも効果的だが、ほとんどを手持ちで撮るのは、不安や恐怖のシーンの常套だ。編集もよく、このシークエンスでわれわれ観客も完全にスーパーにいる一人にさせられてしまう。

 

こうして、この映画は、スクリーンに対する観客の位置を決めてくれるので、惑わされずにデヴィッドを応援したくなる。

これだけよくできたストーリーで進むと、よほどラストをうまくもっていかないと台無しになる。終わりよければすべてよし、がどんでん返し映画なら、これはそうでもないので、ある意味心配して観ていた。

 

あのラストはそうならざるを得ないのだからそうなったのであって、それまでの流れからして必然の運びかも知れない。

 

我が子を殺すとは何事かというトンチンカンなレビューアーもいたが、あの結論にしたからラストが締まった。四人を殺した直後のトーマス・ジェーンの演技はよかった。

軍用トラックに、最初に逃げた婦人の顔がある。早い時期に霧の中を逃げたので助かったのか、偶然クリーチャーに狙われなかったのか、ということだろう。

分けられた運命を恨み、焼き払われる木々を見、行き交うヘリコプターを見上げて、生きているデヴィッドは愕然と絶望のなかに座り込む。 


ホラー的シーンで好きなのは、女性教師アマンダ(ローリー・ホールデン)が昆虫と格闘して最後に踏んづけると、ブチャっとつぶれて血がはみ出るシーン、一瞬のシーンだけど、武器で離れたところから殺すより、足で直接踏んでとどめをさす殺しかたはまさに映像ならではです。

われわれは日常、拳銃やナイフは持たないが、ゴキブリをスリッパで踏んづけて殺したら黄色い液がはみ出したというような経験はあり、こういう点でも観客は映像のなかに同調させられてしまうの。

映像上、直接身体をもって何かをつぶす・踏むというのは、効果的演出のひとつだ。


冒頭、へやの壁に『遊星からの物体X』のポスターがあるのはうれしい。またジムの役の俳優(ウィリアム・サドラー)は、『ショーシャンクの空に』に出ていた。いい味出している。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。