映画 『拾った女』

監督:サミュエル・フラー、原作:ドワイト・テイラー、脚色:サミュエル・フラー、撮影:ジョー・マクドナルド、音楽:リー・ハーライン、主演:リチャード・ウィドマーク、ジーン・ピータース、セルマ・リッター、1953年、80分、アメリカ映画、原題:Pickup on South Street


スリのスキップ(リチャード・ウィドマーク)が、混雑した地下鉄の車内で、若い女のハンドバッグから財布を抜き取った。

女を監視していた男二人はそれを見逃さず、スキップを追おうとしたが、ドアが閉まってしまう。

監視していた男二人はFBIの刑事で、地元警察の警部タイガーに相談するが埒があかず、タイガーはタレコミ屋の女モウ(セルマ・リッター)を呼ぶ。

スリの特徴を聞いたモーは、蛇の道は蛇で、スキップのしわざと伝え、情報料を受けとる。

一方、財布をスられた女キャンディ(ジーン・ピータース)は元恋人のジョーイに頼まれて、ある工業製品の特許を写したマイクロフィルムを、ジョーイの元締めのところに届けに行く途中だった。ジョーイは共産圏のスパイであった。

スられた財布の中にはそのマイクロフィルムが入っており、二人の刑事はキャンディを監視していたのである。・・・・・・


カメラがいいね! こういう動き、好きだなあ。やはり職人の仕事なんだよなあ!

フィルム・ノワールの雰囲気が漂うが、キッチリとした犯罪モノではなく、当時の時代背景からして当然だが、共産圏スパイを悪、スリであってもアメリカ人は愛国心を売らないとする軸があって、特異な内容でもある。

それにしても、フレームの充実度、カメラワーク、小道具の使い方、殴りあいのシーンの演出など、カラーでもなく特撮もないのに、ピシッと決まっている。

この頃の映画によく見る顔、セルマ・リッターの演ずる初老の女モーのみじめな生活、はかない望みと、それが抹殺されることが、ストーリーに厚みをもたせている。


こう書いただけでは、こういう映画のよさや味わいは伝わらない。書いても観ないとよさや味わいの伝わらない映画が、本当によい映画なのかもしれない…と考えさせてくれる映画だった。

決して大作ではないものの、作る者全員が油ののったプロ根性で作り上げてるという気迫が伝わる。

プロの仕事ってどんな映画ですか、と尋ねられたら、80分のこの映画を観てください、と言える作品。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。