監督:マーク・フォースター、脚本:デヴィッド・ベニオフ、撮影:ロベルト・シェイファー、編集:マット・チェシー、音楽:アッシュ&スペンサー、トム・スコット、主演:ユアン・マクレガー、ナオミ・ワッツ、ライアン・ゴズリング、2005年、101分、原題:STAY
レンタルやでは、たぶんやむを得ずサスペンス・コーナーに置かざるを得ないだろう。サイコものには違いない。 観客の頭を混乱させるに違いない映画。
だからと言って投げ出すのは早いし腹を立てることもない。他の映画同様、そういう映画として観るしかない。
個人的には好きな映画だ。自分の映画哲学にも合致している。
ストーリーはあるにはある。小賢しく多数の人物が登場し、脚本が精緻に書き込まれている……というのとは正反対で、あるにはある、といった程度だ。
精神的に不安定で自虐意識にさいなまれている画学生ヘンリー(ライアン・ゴズリング)が、精神科医サム(ユアン・マクレガー)に、三日後に自殺すると予告する。サムは何とかそれをとどめようとするが……という話。サムにはライラ(ナオミ・ワッツ)という、自殺未遂を経験した彼女がいて、彼女とのやりとりが平行して描かれる。彼女も絵を描く。
この映画のよいところは、こういうテーマなら当然なのだが、映像がきれいで、カメラが大活躍している点だ。ロケ場所にしても、すがすがしくみずみずしい所と時が選ばれている。
心理のひだを描き出そうとするため、フレームの構図や、フレーム内のさりげない赤や黄に気を遣っており、アングル、映像処理、カットの速さ、など、さまざまなテクニックを駆使しているのがわかる。
ふつう見過ごすだろうが、冒頭近く、ヘンリーがサムを訪ねてきて、二人で会話するシーン。ツーショットから入りそれぞれ単独で映し、反対側から撮り、また戻るうち、いきなりイマジナリーラインを無視したカットがつづく。
両者は別人であるが、ここにすでに、ヘンリーとサムの<近さ>あるいは<相似形>があらかじめ象徴されてると読んだが、果たしてそうであった。後半の二人の会話でも、どちらがどちらに言ってもいいようなセリフがあって、実際二人を瞬時に入れ替えるようなカットがある。それはまた、オープニングからもうかがえる。
男が婚約指輪を持ち、両親を乗せて運転中に事故は起きた。その最高の瞬間から、一瞬にして自分の死を自覚するとき、たまたま近くに寄ってきた女に男はつぶやく、stay ここにいてくれ、と。たまたまかけつけた人が男であっても女であっても、そんな地獄を目の当たりにしたら、まして似たような幸せな状況になれば、目の前で死んだ男の姿とその瞬間の脳裏を夢に見ざるをえないのかもしれない。
この映画は、単純に夢を具現化した映画なのではなく、映像という夢それ自体なのである。
ライラを演じたナオミ・ワッツはきれいな女優だが、『マルホランド・ドライブ』やこの映画のように、サイコものにはピタリとはまる。
サイコ好きな人、考えるの好きな人、映像を楽しめる人には向いた映画。
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