映画 『マルホランド・ドライブ』

監督・脚本:デヴィッド・リンチ、撮影:ピーター・デミング、編集:メアリー・スウィーニー、音楽:アンジェロ・バダラメンティ、主演:ナオミ・ワッツ、ローラ・ハリング、2001年、145分、米仏合作映画、原題:Mulholland Drive


第54回カンヌ国際映画祭で監督賞受賞。


いわゆる難解な映画の代表とされる。

撮り方そのものにそれほど凝った演出もなく、ストーリーの<基本>部分もシンプルで、だからこそ、脚本において大盤振る舞いができた映画だ。

その大盤振る舞いも、終わってみれば良くも悪くもムダな部分がなく、一応の辻褄合わせはできるので、いわゆる支離滅裂な映画ではない。

映画を難解にしているのは、彼女らの現実と回想のみならず、願望や空想が秩序なく連続されていることによる。


青い箱、特にその青いキーがまさにこのストーリーのキーとなっている。


レズビアンも楽しんだ相手に、目の前で男との結婚を宣言され、仕事も奪われた復讐をたくらむが、おそらくはそれは実行され、心理的に追い詰められて自殺が暗示される。

この、ベティの恨み節とでもいえる悪夢を覚ましてくれるのは、クラブでの楽器の音や身につまされる悲しい歌詞の歌であり、その証拠にその歌手がラストに青い髪で登場し、静かに、と言う。

映像より脚本で見せる映画は、大概、脚本負けしてしまって、だったら本で読めばいいじゃないか、というふうになりがちだが、この映画は脚本負けしておらず、悪夢や願望の映像化に成功しており、一個の映画として、観る側に差し出されている。


悪夢に出てくる多数の人物のなかでは、殺し屋の若い男が、その実態を最も明らかにされていて、過去の殺しの現場がきちんと描かれている。

最後は札束でその男を雇うのであり、レストランで恋人同士が向き合っている印象や、ラスト近くでの軽々しい印象を避けるための作戦であろう。


それにしても、ラストでこの主役の女性が、ファーストシーンを再現した白いライトのなかで満面の笑みを浮かべているのは、いわば女優としても女としても最高に幸福であった象徴で、次にすぐ歌手を映し、静かにと言わせるところに、この映画の内容が一気に凝縮される。

もしかしたら、この、静かに、というところまでが、あらかじめ彼女の悪夢に入力されていたのかもしれない。なぜなら、冒頭、ダンスのあとに映る赤い布のなかから聞こえるベティのうなされ声は、自らの破局まで予想しているように聞こえるからだ。


悪夢を描きながらも、細かいところまできちんと帳尻合わせができており、よく計算され尽くしてて仕上がっている作品だ。映像の<空気感>や<邪悪さ>も楽しめる。


ベティがオーディションで相手の男性と迫真のラブシーンを演じ、誉められる。彼女の夢のなかで、唯一みずからを女優として・女として誇れる、彼女としては最も満足のいくシーンなのだ。全編のなかでの圧巻であり、ナオミ・ワッツの面目躍如といったところだ。


冒頭に出てくる夜景はよく見るところで、『ヒート』(1995年)でも二回出てきた。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。