映画 『白いリボン』

監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ、撮影:クリスティアン・ベルガー、編集:モニカ・ヴィッリ、出演:クリスティアン・フリーデル、レオニー・ベネシュ、ウルリッヒ・トゥクール、144分、2009年、ドイツ/オーストリア/フランス/イタリア合作、ドイツ語、原題:DAS WEISSE BAND(白いリボン)


総勢27人近い登場人物があり、その半数近くは何かしらの役を演じ、そのうち10人近くが子供であるので、一通り人物が出そろうまでに、寝ぼけまなこだと混乱しかねない。そうこうするうちにも事件は静かに起きていくので、なおさら覚醒して観ていないと、要点ものがしてしまうような映画である。

ラスト近くでサラエボ事件が話され、時代が第一次世界大戦直前であることがわかり、タイトルを含め、ドイツ語しか出てこないのでドイツの田舎の村が舞台であることは初めからわかる。

映画にも登場する教師が、過去の当時の出来事を回想する形をとり、この教師の語りにより、映像が流れていく。


冒頭すぐに、木と木の間に張られた針金に気付かず、馬に乗ってきた‘ドクター'(ライナー・ボック)が馬もろとも転倒する事件が起こる。次いで、さらに不可解な事件が起きていく。・・・

映画は、これら不可解な事件そのものの犯人探しに、焦点を当てるつもりはなく、映像上から犯人が明確であるものもあればないものもある。

むしろ、荘園制のもと、その領主である男爵家、その補佐的な立場である男の一家、小作人一家、村の精神的指導者である教会の牧師(ブルクハルト・クラウスナー)一家、村の医師である‘ドクター'一家、これらペンタゴンのつくる階級社会、中世からの流れが終末を向かえている階級社会、を根底に、世情にはまだ無知な子供たちもかかわらせて、その後戦争を経て近代化していく後の世界の、原型的宇宙を創造したような映画である。そのために、わざわざモノクロにしたのだろう。光と影の芸術を追及するためだけのモノクロ使用ではないようだ。

タテの階級社会は、厳格な管理社会でもあるが、その間隙をぬって、女たちや子供たちまでもが、何かをしでかしているのである。


つくりの構造としては『ピアニスト』の相似形かと思える一方、伝えたいことの方法としては『隠された記憶』に近いかと思う。鞭で打たれるシーンは音だけにするといった『ファニーゲーム』の演出はあるが、この映画については『ファニーゲーム』に共通する要素はほとんどない。グロいシーン、不愉快なシーンはない。

監督自身が、この映画は、真実の客観的考察ではなく、歴史の主観的考察です、とかわしているように、正確な事実や犯人探しより、頻発する不可解な事件により、コミュニティというものの不安や不穏な空気を伝えたかったのだろう。


不安や不穏な空気といえども、言葉だけに頼れば映画にはならず、恋愛や親子愛にこと寄せて描くのでもなく、日常に隆起する悪質なイタズラや殺人や人間模様を、サスペンス風に描くことで表現したのだと言えよう。

ストーリーとしてわかりづらいことはないが、『隠された記憶』や『ピアニスト』のように、ひとつの明確なテーマ性をもって、一個人や一家族という単線上で展開していくわけではないので、そのあたりに取っつきにくさを感じる人もいるだろう。

よくいえば、かなりインテレクチュアルな作品ということだ。


『隠された記憶』の主役は<観客自身>なのだろう、と書いたが、この映画も観客の想像力や思考力を伴って完成するような作品になっている。

ハネケよ、あなたはしたたかな人ですね。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。