映画 『救命艇』

監督:アルフレッド・ヒッチコック、脚本:ジョー・スワーリング、原作:ジョン・スタインベック、撮影:グレン・マックウィリアムズ、編集:ドロシー・スペンサー、音楽:ヒューゴー・フリードホーファー、主演:タルーラ・バンクヘッド、97分、1943年製作・1944年1月公開、配給:20世紀フォックス、原題:Lifeboat


第二次世界大戦下の大西洋上、イギリスに向かう途中であった客船がドイツ軍のUボートの攻撃を受け沈没し、乗客や米軍の戦艦の乗組員らが、一艘の救命艇に逃れてくる。乗り合わせる。赤ん坊を抱いた女性につづき、一人の男が救命艇に乗り込むが、彼は英語が話せずドイツ語を話した。彼は連合国軍の攻撃で撃沈され沈没したUボートの乗組員であった。・・・・・・


一艘の救命艇が舞台になる点で、後の『ダイヤルMを廻せ!』(1954年)を彷彿とさせるが、こちらは大海原の中、生死を境にする状態であり、そこにほとんど全くの他人同士が乗り合わせるという点でも、ストーリー上のサスペンスの次元も、全く異質な内容である。


コニー(タルーラ・バンクヘッド)というライターだけが乗っていた救命艇に、少しずつ人が逃れてくる。職業も目的も、また、黒人も混じるなか、Uボートの乗組員も逃れてきて乗り合わせることになるところから大きくドラマは展開する。ストーリーの軸は、このドイツ兵と彼に対するアメリカ人たちの疑心暗鬼であり、この中軸に基づき、それぞれの人物像が、非常時にあるとはいえ、丁寧で研ぎ澄まされた会話の応酬で語られていく。極限状態には相違ないものの、それを差し引いても、人間のそのつどの判断や表情がきちんと描かれている点がすばらしい。人物たちの過去に関する思い出やそれぞれのキャラクター描写も、くどさがなく、それぞれに応じた質量の案配が考慮されている。


冒頭、海に散らばった荷物や遺体などが映し出されるのをはじめ、嵐や夜間などのシーンは実にリアルで迫力があり、周囲に何も見えない大海原をただひたら漂う救命艇の悲惨な状況を浮き彫りにしている。サスペンスドラマと単に一括りにできない内容を盛り込んでおり、人間ドラマに仕上がっているといっても過言ではない。原作が堅牢であるためでもあろうが、そのまじめ一方に語られる内容を、忠実に映像化できた作品であろう。


乗り込んできたドイツ人は、実は英語も話すことができ、途中からリーダーシップをとるような状況に変わるが、それも束の間で、この男が、乗り合わせた一人の男を船から突き落としたことで、皆から殴られ海に突き落とされるのである。しかしこの元医師であるドイツ人は、ほんの数日前、突き落とした男の足を壊疽から救うため、医療用具もないなかで、全員と協力し、足の切断という手術を施していたのであった。


救命艇に方角を示す機器のないなか、このドイツ人はやはり、ドイツ軍の補給船のいるところへと救命艇を誘導していた。やはりアメリカ人らを騙していたのである。やがて、ドイツ軍の巨大な戦艦が見えてくると、遠くから連合軍の攻撃を受け、皆が見る前で補給船は撃沈されてしまう、しばらくすると、まだあどけない顔をした若いドイツ兵が救命艇に逃れてきた。持っていた拳銃を叩き捨てられ、ドイツ語で「僕を殺す気か?」と言う。コニーらがこれに応答するところで、切れるように映画は終わる。


戦争を背景にしているが、脚本上、反戦のような展開はなく、救命艇に逃れてきた人間たちによる全くの人間ドラマになっている。台詞においても映像においてもかなり密度の高い作品となっている。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。