映画 『間諜最後の日』

監督:アルフレッド・ヒッチコック、脚本:チャールズ・ベネット、原作:サマセット・モーム(『アシェンデン』所収「The Traitor」「The Hairless Mexican」)、製作・配給:ゴーモン・ブリティッシュ、撮影:バーナード・ノールズ、音楽 :ルイス・レヴィ、主演:ジョン・ギールグッド、マデリーン・キャロル、ピーター・ローレ、87分、1936年5月、イギリス映画、原題:Secret Agent


第一次世界大戦中の1916年、イギリスの陸軍大尉ブロディ(ジョン・ギールグッド)は、自分が戦地で死亡したことにされ、偽の葬式も行われた後、本部の「R」という上官に呼ばれ、スパイ活動に就くよう指令を受ける。スイスのジュネーヴで暗躍するドイツのスパイを摘発するのが任務だ。彼はリチャード・アシェンデンという偽名で、ジュネーヴへ赴く。アシェンデンに協力するのは「R」からの信頼も厚い通称「将軍」(ピーター・ローレ)という男が付く。

スイスのホテルに着くと、アシェンデンには妻役のスパイ・エルザ(マデリーン・キャロル)とも知り合い、早速任務遂行に着手する。・・・・・・


スパイものであり、後の『引き裂かれたカーテン』(1966年)を想起させる。『引き裂かれたカーテン』では、夫がスパイであり、妻はそれを後から知るが、本作品では、スイスに着いて初めて妻役のスパイがいることを知る、という設定だ。スパイだと思って殺害した男が実は別人であることがわかったあと、あれほどスパイ活動に関心と熱意をもっていたエルザが、スパイ活動における殺人という行為を知り、心変わりし、本気でアシェンデンに好意をもつあたりは、それぞれの作品でひと味違うところだ。


イギリス時代のヒッチコック作品に共通する要素だが、的を射た台詞の応酬が多く、脚本上のテンポが軽快であり、さらに映像としての試行錯誤多く見られる。さらに本作品で注目したいのは、サスペンスをストーリー展開に乗せるだけでなく、映像と音声でかなり抽出することに成功している点だ。

例えば、スイスに着いてすぐ、アシェンデンらは、連合国側に寝返ったスパイがいる教会を訪ねるが、ずっとオルガンが不協和音を鳴らしたままであり、近づくと、オルガンの上にうつ伏せになって殺されていたのである。

人違いで殺されるケイパーという男は、常に犬を連れていた。冬山登山にケイパーを誘い出し、いずれもうすぐ崖から突き落とされることを予知してか、ケイパーの自宅ではその犬がドアのところに何度も寄ってドアに鼻を擦り付ける。冬山とこのへやが交互に映されるが、主人が殺害されたと同時に、犬は悲痛な鳴き声を上げる。そこを訪れ、犬の異様な行動を見ていたエルザも顔を覆う。その後、これを機にエルザは、スパイ活動に愛想を尽かす。

翌日、ホールでスイス人らの歌う合唱を聞きながら、3人は祝杯を上げるが、エルザだけはこの任務を後悔しており、執拗にエルザの表情にカメラが近付く。上着からとれたボタンがケイパーをスパイと断定した決め手になった。そのボタンが合唱団の持つ寄付用のたらいの中を転がる挿入シーンは、エルザの心理を表現している。


アシェンデンもエルザの情にほだされ、アシェンデンも本件をもって任務を降りると書いた「R」宛ての手紙まで書く。二人は相思相愛になりそうになるが、「将軍」の仕入れた情報により、二人は、敵スパイが潜入しているとされるチョコレート工場に向かう。アシェンデンにとってはこれを最後の仕事にするという意味での邦題である。


アシェンデンの相棒「将軍」のピーター・ローレは女たらしの一面があるが、そんな剽軽な男が、スパイ活動に関しては機械のように職務に忠実な動きを見せるところも興味深い。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。