映画 『ポセイドン・アドベンチャー』

監督:ロナルド・ニーム、製作:アーウィン・アレン、原作:ポール・ギャリコ『ポセイドン・アドベンチャー』、脚本:スターリング・シリファント、ウェンデル・メイズ、撮影:ハロルド・E・スタイン、編集:ハロルド・F・クレス、美術:ウィリアム・J・クレバー、特殊効果:L・B・アボット、A・D・フラワーズ、音楽:ジョン・ウィリアムズ、主演: - ジーン・ハックマン、1972年、117分、配給:20世紀フォックス、原題:The Poseidon Adventure


パニック映画としてのみでなく、映画ファンにとどまらず、遍く世に知られた有名な作品である。迫力もエンタメ性も充分であり、それだけに私にとってレビューするこいままとなっていた作品だ。公開後、当時、テレビで何度か放映されており、そのたびにわくわくしながら観たことを覚えている。


映画が映像であり、心理ドラマやサスペンスなど多様なジャンルがあるなかで、<もの>を主役として中央に位置させた作品だ。人間ドラマは確かにあるものの、それもテーゼとアンチテーゼの闘いであり、アウフヘーベンはない。常に二項対立である。このシンプルな図式がよい。そこに、背景も性格も異なる老若男女が入り混じり、多様な人物と状況がストーリーを修飾している。


パニックものはアクションものではない。アクションは繰り返し挿入しうるが、パニックものは、そのパニックが起きたあとの進め方如何がその後のエンタメ性を左右する。『大地震』(1974年11月)における大地震、『タワーリング・インフェルノ』(1974年12月)における火災も同様だ。後者はそれでも、<順々に>展開していくことができたが、前者は一発目の衝撃にすべてがかかってくる。

本作品は、その逃走経路の困難さや、いつ沈没するかもわからないという不安と、それぞれのキャラクターを際立たせることで、こうした退屈への不安を排除できている。


出演陣のなかでは、やはりシェリー・ウィンタースが印象的だ。『陽のあたる場所』(1951年)での薄幸な娘の役のころから注目していた女優である。その後、『狩人の夜』(1955年)、『拳銃の報酬』(1959年)、『テナント/恐怖を借りた男』(1976年)などに出演している。本作品では、まさかこの太ったおばさんが、水の中で魚のような泳ぎを見せるとは、と、初めて観たとき本当に驚いたことをよく覚えている。その直後の死と合わせ、今でも感動的なシーンである。エイカーズ役のロディ・マクドウォールは、『わが谷は緑なりき』(1941年)の少年ハウを演じていた。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。