映画 『彼女について私が知っている二、三の事柄』

監督・脚本・ナレーション:ジャン=リュック・ゴダール、原案:カトリーヌ・ヴィムネ、撮影:ラウール・クタール、編集:フランソワーズ・コラン、シャンタル・ドラットル、音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、録音:ルネ・ルーヴェル、主演:マリナ・ヴラディ、1966年製作・1967年3月公開、90分、フランス・イタリア合作、配給:UGC、原題: Deux ou trois choses que je sais d'elle


1966年8月頃、パリ近郊では、政府の新首都圏拡張整備計画に従い、公団住宅(HLM=Habitation à loyer modéré=低賃貸住宅)の建設が進んでいる。パル郊外のブローニュ=ビヤンクールにも大規模な団地が建設中であり、ジュリエット・ジャンソン(マリナ・ヴラディ)の一家もそんな公団住宅に住んでいる。家族は夫のロベール(ロジェ・モンソレ)、小学生の息子と幼い女の子である。夫が仕事に出ている間、下の子を連れ、アパルトマンの託児所に行く。そこには数人の幼児が集まって遊んでいるほか、他の一室には男女がおり、そこの管理人らしき男がそのカップルに、あと何分だよ、などと言っている。そこは売春をする主婦向けの託児所兼売春宿でもある。ジュリエットは男を探し、代金を受け取ると、買い物に出て帰宅し、夫と並び、ベッドで読書する。・・・・・・


ストーリーらしきものは大まかに以上のようにまとめられるが、いわゆる<団地妻の主婦売春>の話ではない。そういった方面への掘り下げも主張もない。主婦売春はこのコラージュ技法を用いた映画の題材の一つに過ぎない。

小さな区切りに題字が出ると、ゴダール自身によるナレーションが入る。トーンを落としたひそひそ話のようなこのナレーションには、政府批判、資本主義批判、ヴェトナム戦争批判、アメリカ批判などが含まれる。1967年8月、ゴダールは商業映画との決別宣言を発表するが、その直前の映画だけに、アメリカ映画や資本主義に対する批判的言辞があちこちに散りばめられているのだろう。冒頭に、「彼女」とはパリのことである、と出るが、これはジュリエットをも指している。その悪気もなく道徳心もない売春を含め、それが団地群に生活する主婦の実態である、とでも言わんばかりだ。しかもこの話は、ドミュメンタリー風にさらりと描かれている。


全体にクセのある台詞が頻出する。カフェにおける女子学生(ブランディーヌ・ジャンソン)と作家(ジャン=ピエール・ラヴェルヌ)との文学や言語についての論争や、ジュリエット自身から語られる言葉についての哲学的思索、などがあり、中でも主に言葉についての疑問が観る側に投げかけられるのである。

外を撮ったシーンでは、建設中の高速道路や団地群が映るが、室内では、フレーム内に映る調度品や壁紙など、いかにもパリ風味の色彩であり、そこには英語も見られ、アメリカや日本の航空会社のポスターも見られるシーンもある。その一方で、時により出演者がカメラに向いてつぶやいたりするなど、伝統的な撮影に抗したシーンもある。


全体には、当時としては画期的なほどの試行錯誤に挑戦した作品であり、その限りにおいて興味深いが、映画としてのエンタメ性も持ち合わせたものにするには、さらに後年の作品を待つしかなかった。エンタメ性=商業映画に固有な要素、とまでは断定できず、映画内容としておもしろくないものはおもしろくないと断言してかまわない。これと類似したような撮り方をしていても、エンタメ性が担保されている作品は、例えば戦後間もない東欧の映画などいくらでもある。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。