映画 『バニー・レークは行方不明』

監督・製作:オットー・プレミンジャー、脚本:ジョン・モーティマー、ペネロープ・モーティマー、原作:イヴリン・パイパー『バニー・レークは行方不明』、撮影:デニス・クープ、編集:ピーター・ソーントン、音楽:ポール・グラス、主演:キャロル・リンレー、キア・デュリア、ローレンス・オリヴィエ、1965,107分、英米合作、原題:Bunny Lake Is Missing、配給:コロンビア ピクチャーズ


クレジットにないが、タイトルデザインはソウル・バスによる。紙を破くとそこにスタッフ名が出てくるオープニングは画期的だ。


アン・レイク(キャロル・リンレー)が4歳の娘・フェリシア、通称バニーとともに、アメリカからロンドンに越してきた。ロンドン在住で特派員をしている兄・スティーヴン(キア・デュリア)の手配で、ある保育園に預けた。新居で荷ほどきをし買い物に出たあと保育園にバニーを迎えに行くが、保育園の教師や仲間の子供たちもは、そういう子を見ていないと言い、生徒の名簿にもバニーの名はなかった。スティーヴンは警察に連絡し、警視のニューハウス警部(ローレンス・オリヴィエ)を中心に捜査が始まるが、バニーの姿を見た者はおらず、バニーの顔写真がないか尋ねられたアンが自宅の荷物を確認しに戻ると、現金は残っているがバニーのものである歯ブラシやコップ、衣服、人形など一切がなくなっていた。ニューハウスはやがて、バニーなる幼女は初めから存在しておらず、アンの妄想ではないかと疑い始める。・・・・・・


バニーは実在しており、バニーを行方不明にした張本人はスティーヴンであり、そのようなことをした遠因は、アンとスティーヴンの幼い頃からつづく相互の溺愛であったというオチである。前半ではアンが妄想に取り憑かれたのかと疑っていくが、実はこの正義感あふれるスティーヴンこそ倒錯した愛のなかに溺れ、実在のアニーを殺害しようとしていたのである。終盤30分でこの異様な関係が明らかになると同時に、ラストに至るシーンでは、アンがスティーヴンに自らの娘を殺されないよう、冷静沈着にして且つスティーヴンのご機嫌やアン自身に対する溺愛をコントロールしながら、子供のように無邪気に遊び回る。恐ろしい物体も何も使わず、日常のなかに狂気の出現するところを見事にとらえている。


本作品では、行方不明となるバニーの姿は初めから描かれず、もしかしたら本当にアンの妄想によるものかとも疑われるが、引っ越したあと、バニーの衣服や人形だけでなく、歯ブラシとコップをクローズアップするあたり、バニーの実在を観る側にうったえているのである。とすると、おそらくは、と思わせておきながら、スティーヴンが人形に火をつけ、その後異様な表情をするところで、スティーヴンが犯人だということがわかる運びになっている。


アンが越した住まいに無断で入ってくる管理人や、その趣味で飾ってあるという仮面、調理場にいた婦人、保育園の元園長、人形病院の老人など、いかにも不吉で気色の悪い人物を配置し、モノや撮り方に頼ることなくサスペンスを盛り上げていった手腕はみごとだ。仮に当時こうした機器や装置があっても、却って日常の起きうる戦慄は描き切れなかったものと思わせられる作品だ。


本作品の注目すべき点は、オットー・プレミンジャーとしては一つの挑戦であったろうということだ。行方不明になる幼女を、初めは映さないということではない。ストーリー運びと映像が噛み合わなければ、途中で飽きられるおそれがある内容だからだ。次々に引っ張っていくには、それなりの牽引力が、ストーリーと映像になければならない。逃亡犯を追うようなあらすじであれば、観る側もそこに参加しうるが、行方不明になっていたとしても、実在を大前提として捜査が進展していくような筋とは違い、本作品では、実在か非実在かを明確にしないために、捜査という直線的な広がりをもたずにストーリーを運ばなければならないのである。

こういう危機を排除するには、話は変えられないので、映像のほうにくふうが必要だ。アンの移り住む家は大きい建物であり、その住居や外の空間は広めにとってある。このなかでカメラは動く。広い空間と奥行のなかで、カメラは対象を選んでフォーカスできる。また、保育園は縦に長い建物で、子供たちが降りてくる階段、それぞれの部屋は、狭いところに続き、そのなかでカメラは動く。狭い空間であるからには、仰角・俯角・アップなどを交えて撮っている。映画とは映像であることをよく知っている監督だ。


キャロル・リンレーのつるんとした容姿や情緒不安定かと思われる表情、キア・デュリアの常人から狂人への豹変ぶり、ローレンス・オリヴィエのいかにもイギリス紳士らしい演技が注目される。ニューハウスがアンを連れてきたパブのテレビに映るロックバンドは、ゾンビーズ(The Zombies)であり、別なところではビッグベンを映し込むなど、イギリス風味を入れることも忘れていない。


キア・デュリアは『2001年宇宙の旅』(1961年)ボーマン船長役で知られるほか、家主のウィルソン役は『ミニミニ大作戦』(1969年)に出ていたノエル・カワードである。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。