映画 『橋』

監督:ベルンハルト・ヴィッキ、脚本:ミハエル・マンスフェルト、カール・ウィルヘルム・フィフィア、ベルンハルト・ヴィッキ、原作:グレゴール・ドルフマイスター『Die Brücke』、製作:Fono Film、撮影:ゲルト・フォン・ボウニン、編集:カール・オットー・バートニング、音楽:ハンス=マーティン・マジェウスキー、主演:フォルカー・ボーネット、1959年、104分、西ドイツ映画、原題:Die Brücke


第二次大戦末期のドイツのとある田舎町が舞台。学校のクラスメイトである16歳の少年たち7人が、戦争末期となり人員確保のため召集され、召集された翌日、たまたま自分たちの地元にある「橋」のたもとに配備される。そこは軍の意向で、米軍戦車が町に入ってこられないよう爆破予定の橋であった。兵士となった7人が明け方に守備に付いていると、遠くから米軍の戦車がやってくる音が聞こえてくる。そして現実に、やってきた米軍と少年戦士の闘いが始まってしまう。その結果、生き残ったのは一人だけであった。


しばしば『炎628』(1985年)と比較される映画であるが、あえて比較するなら、本作のほうに軍配が上がる。映画として、より秀逸だからだ。

たしかに、製作意図や内容からして反戦的映画に違いないが、単にそれだけでは終わらない。ストーリーは、「少年たちの目から見た戦争」という姿勢で貫かれている。戦争末期であること、あるいはナチスドイツがやがて敗戦を迎えることを鑑賞する側は知っており、そこからの視点による彼らの戦争に対する思いや闘いぶり、そしてその死が空しいものであったことを承知で観たとしても、単なる反戦的映画以上の内容が盛り込まれている。逃亡劇と同様、テーマとして初めから得をしているが、映画としてのそうした「お得感」のようなものは排除され、ただひたすら丁寧に誠実に撮られたフィルムである。こちらも実話を元にしているので、戦闘シーンを含め、すべてがリアルに描かれている。


尺のほぼ半分のところで、学校に通う少年たちの軍服姿が現われる。兵舎の一室で、銃などの手入れをしている。そこまでは、7人の日常や級友としての触れ合いが描かれている。

冒頭に、洗濯屋の婦人が、客からの洗濯物を預かって台車を引いていく。その動きに沿って何人かの家族が紹介されていく導入がうまい。この婦人はジギという少年の母親であり、ラストの戦闘シーンでは、戦場となった家の近くの「橋」の上に最初の犠牲者となった息子ジギの遺体が横たわっているのを知る由もなく、息子は今頃前線にいるのだろうかと心配する。そして「橋」はまさに前線になってしまっていたのだ。


少年たちにはそれぞれの家庭の事情もある。比較的裕福な家の子もいれば、やっと女手ひとつでどうにか生活しているジギの母親もいる。父とその従業員の若い女に恋焦がれていた少年は、ある日、父がその女と行為したあとのようすを垣間見てしまい失望する。各人にさまざまな生きざまがありつつ、ボートをつくるという共通の趣味をもつ仲間同士であり、それゆえ同じ日に召集された7人の結束は固い。

戦争末期であるにもかかわらず、境遇はそれぞれ異なるものの、彼らはみな自国を守るためには疎開もせず、いずれ兵士になることに憧れ、いざとなれば戦争に参加したいという意志をもっていた。しかしその意志は、現実の戦争の前には、優雅な理想でしかなかったのである。彼らはあるとき、古手の兵士に、まるで「幼稚園」だな、とからかわれる。この言葉は、一人セリフのある米軍兵士が、英語で「幼稚園児」を撃つつもりはない、と絶叫するところにも使われる。「幼稚園」だけドイツ語であったため、バカにされたと思った少年に銃撃されてしまう。


一定のテンポを保ったストーリー運びに加え、カメラワークの丁寧さも注目されるべきだ。

前半の彼らやその家族との日常について、7人それぞれの境遇が丁寧に映される。カメラは細かいカットとロングショットなどをうまく組み合わせ、奇を衒った撮り方こそないものの、それが却って庶民の日常の目の高さとなり、観る側にリアル感を誘い込む。戦闘シーンも丁寧に撮られ編集されている。ジギが死んだ直後、遠くから米軍の戦車の音が聞こえてくる。6人に緊張が走る。やがてようやく戦車が姿を現わす。この登場シーンでは、近寄ってくる戦車を下から仰角に捕える。少年たちにとって初めて見る敵の戦車であり、異様な恐怖を催させるこのシーンは、少年たちの恐怖そのものでもある。この戦闘シーンでは、米軍側は、一人と煙幕の向こうで退散する遠景を除き、ほかに出てこない。


7人の担任教師は、彼らにも召集令状がきたことショックに思い、せめて後方に配置してくれないかと、今は軍幹部となっている元の同僚に懇願する。それはあっさりと拒否されるが、この幹部は上官に持ちかけ、その結果彼らは、戦略上さほど重要でないとされる「橋」の警備に回されるのである。その橋はやがて自軍によって爆破されることになっていたからだ。


エンディングに、1945年4月27日のこのようすは、些細な出来事であったため、戦史の記録にも載っていない、と説明文が出る。その直前のラストシーンでは、ひとり生き残った少年が画面手前に消え、戦闘後の無惨な「橋」を映し出している。その橋こそ、兵士になった少年たちが着任したとき、何だ、「僕らの橋」じゃないか、とおどけた場所である。この橋は、前半にも何度か登場する。タイトルはこの橋に貼られたように登場する。「僕らの橋」は、後方どころか「戦闘の場」となり、その「橋」で少年たちは戦死したのである。「僕らの橋」は、後方どころか俄かに前線となり、仲間が戦死した「悲劇の橋」となってしまうのである。


戦闘中、ある少年は米軍の攻撃に戦き、「もう嫌だ、帰りたいよ」と言う。この少年にとっては本心であったろう。

ラスト近く、生き残った二人の少年のうち一人が、この「橋」を命令どおり爆破しに来た年配のドイツ人兵士に対し、「こんなことってあるか」と泣き叫ぶ。これもこの少年にとっての本心であったろう。こんなに必死になって戦ったのに、仲間が死んでしまったところなのに、この橋は「僕らの橋」であるのに、・・・そんな複雑な意味が重複する印象的なシーンである。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。