映画 『逃亡者』

監督:アンドリュー・デイヴィス、脚本:デヴィッド・トゥーヒー、ジェブ・スチュアート、原案:デヴィッド・トゥーヒー、原作・キャラクター創造:ロイ・ハギンズ、製作:アーノルド・コペルソン、撮影:マイケル・チャップマン、編集:ディーン・グッドヒル、デニス・ヴァークラー、デイヴィッド・フィンファー、音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード、主演:ハリソン・フォード、トミー・リー・ジョーンズ、1993年、130分、原題:The Fugitive、配給:ワーナー・ブラザース


1963年から1967年まで米国で放映されたテレビドラマを下地にした映画。日本でも1964年5月から1967年9月までTBS系列で放送され、人気を博した。子供の頃、毎週土曜日の夜を楽しみによく見ていた。


無実の罪を着せられ終身刑となった医師リチャード・キンブル(ハリソン・フォード)が、囚人護送中のバスの事故により逃亡し、真犯人の片腕の男を追うドラマで、この逃亡者を追う連邦保安官補サミュエル・ジェラード(トミー・リー・ジョーンズ)との追っかけ合いがテーマとなっている。

何度も観てきたのだが、レビューを書くのは初めてだ。というのは、映画として必要十分条件が揃っており、レビューしにくい作品だったからとも言える。


映画のテーマとして、追いつ追われつというのは、それだけですでに得策である。刑事ものなど、何かを追いかけるという時間経過のしかたは、最終的に対象が捕らえられたり死亡したりするなどして、一件落着するまで観客の関心を引っ張れるからだ。しかし、それだけでは映像作品としては成功しないだろう。単にそれだけのドラマであるなら、どこか途中で白けてしまう。追いつ追われつのドラマ性というものがあって、一定の緊迫感を維持できなければ、エンタメ性は盛り込めないのだ。


本作品は、そのへんをよくわかっている。冒頭にしかけられた護送バスの事故と貨物列車の衝突シーン、キンブルがダムへ飛び込むシーンなど迫真のシーンをはじめ、ヘリを飛ばし、昼夜の都市部のようすを真上から撮ったシーンを適宜挿入するあたりも、映像上のメリハリをつけるのに効果的だ。ラストシーンでは故意に路上を濡らし、ビルや街灯の灯りが反映するようにしている。

やや長めのシーンもあるが、ワンシーンをあまり長くせず、短いショットと組み合わせた編集もみごとだ。カメラは充分に狙ったシーンを追っているし、編集ではつなぎの効果を活かすため、フィルムを切っているところも多い。


ストーリーも巧みな展開を見せており、逃亡劇の合間に、時間経過の中においてもキンブルやジェラードの人柄を適確に描写することを忘れていない。例えば、病院内で、救急で運ばれてきた子供のようすから、医師としてのキンブルは、その良心と人柄を見せている。片腕の男を使って妻を殺させた真犯人は、キンブルの友人でもあったニコルズ(ジェローン・クラッベ)だったが、初めはいかにもキンブルの親友として登場させるあたりの脚本の運びがよい。同じくバス事故で逃亡したコープランド(エディ・ボー・スミス・ジュニア)の顛末を入れたり、キンブルが借りたアパートの大家の息子が捕まるシーンを挟むことで、ストーリーの流れを嫌味をもたせず盛り上げている。

適確に各シーンを盛り上げるジェームズ・ニュートン・ハワードの効果的な旋律やインストルメントもすばらしい。


広角レンズをうまく用いた撮影、仰角・俯角、バスト・アップ、固定・ハンディなど、それぞれのカメラ技法をシーンごとに使いわけ、常に壮大な空間やスケール感を忘れず、一定の緊迫感とテンポを保ち、追いついたかと思ったらまた突き放されていくストーリー展開が功を奏した作品だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。