映画 『デンマークの息子』

監督・脚本:ウラー・サリム、撮影:エディ・クリント、美術:シリエ・アウネ・ダムメン、音楽:タークマン・ソウルジャ、主演:ザキ・ユーセフ、モハメド・イスマイル・モハメド、2019年、120分、デンマーク映画、配給:キングレコード、原題:Danmarks sønner(デンマークの息子たち)、PG12


デンマークの首都コペンハーゲンでは、23人の犠牲者を出したノアポート駅爆破テロ事件から1年となる2024年4月20日、現場には花束を持った人々が訪れていた。その中に、極右政党、国民運動党を率いるマーティン・ノーデル(ラスムス・ビョーグ)もおり、中継でインタビューを受けている。彼は、爆破テロなどを頻発させているアラブ系住民を国内から追い出し、国内への移民や難民の受け入れを禁止すると主張していた。19歳のアラブ系移民ザカリア(モハメド・イスマイル・モハメド)が街を歩くと、壁にはアラブ系移民や難民に対し、「出て行け!死ね!」といった罵詈雑言がペンキで落書きされており、その下には血だらけの豚の首が転がっているありさまだった。

ザカリアは、母と弟とともに高層アパートに住んでいた。ニュースなどを見て極右の動きに反感を覚え、ハッサン(イマド・アブル=フール)に会いに行く。ハッサンはアラブ系過激派組織を率いており、「デンマークの息子はデンマークの汚れ」だとして、ノーデルら極右勢力に反抗していた。ノーデルは、民族主義集団「デンマークの息子」と関係している疑いもあった。ハッサンに、アラブ系住民の子供や女性たちの生活の実態を見せてもらったザカリアは、組織に加わる決意をし、やがてノーデル暗殺を任せられるまでになる。ザカリアはハッサンにアリ(ザキ・ユーセフ)を紹介してもらい、郊外の一軒家で、銃の撃ち方などを指導してもらうことになる。・・・・・・


自身もイラク移民の両親を持つウラー・サリム監督の長編デビュー作。

冒頭にいきなり爆破事件が生じ、その後本編に入る。120分の尺の後半からは、アリが中心に描かれる。アリは実は潜入捜査官マリクであったのだ。前半では、当局の言われるままにアラブ系住民の集会に参加したときのやりとりを録音し、ザカリアを裏切りもするが、同じアラブ系移民として、その風体だけから自身や家族に危害が及ぶようになると、良心の呵責も手伝って、結局は自分の手でノーデルを暗殺することになる。

ザカリアがノーデルの自宅に行き、寝室で眠っているはずのノーデルを暗殺しに行ったとき、ノーデルはおらず、しかもすぐに警官に包囲され捕まってしまう。これはマリクの裏切りによるものであり、その後ザカリアが登場するのは、拘置所のなかにマリクが面会に行ったときとラストだけである。


大きなうねりやメリハリはなく、事態の変化が淡々と流れていく。しかし退屈はしない。脚本がよく練られており、当然のことながら、脚本がいかに大事かということを知らされる映画だ。上に述べたように、ストーリーは、ザカリアが捕らえられるまでとその後で大きく二つに分かれる。ザカリアを裏切ってノーデル暗殺を失敗させたマリクが、選挙に大勝利し、今後の施政演説をしているノーデルを自らの手で射殺するのである。ノーデルはかつてマリクの密告により自身の生命を救われ、マリクの自宅に礼を述べにまで行っていたので警戒していなかった。


ザカリアやマリクの時々刻々変転する心理がみごとに的確に描写されつづけていくだけでなく、それぞれの家族のありようをも、ストーリー展開に邪魔にならないよう適切に挿入している点も評価されていい。ザカリアの母と弟、マリクの妻と男児、ノーデルの妻と男児が、脇に置かれながら効果的に描かれている。特に、ザカリアの母を演じたアシル・モハマド・ハビブの演技がすばらしい。

カメラも、そうした脚本の流れを丁寧に受けて動いており、ドキュメンタリータッチな仕上がりとなっている。


ラスト近く、マリクが連行されていく映像と、ザカリアの弟を抱く母の映像が交互に映され、その母の悲し気な歌い声が流される。拘置所のなかでサカリアが振り向くシーンに、涙する母と弟の姿が映され、終わりとなる。


そもそも本作品は、未来の時間をテーマにしている。過去にこうした歴史があったからこそ、監督自身の経験も交えて、脚本化し映像化できたのであろう。ストーリーを未来の設定にしたのは、今後世界のどこででもこうした内容がありうるという暗示であろう。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。