監督:キング・ヴィダー、製作:サミュエル・ゴールドウィン、原作:オリーヴ・ヒギンズ・プローティ、脚本:サラ・メイソン、ヴィクター・ヒアマン、撮影:ルドルフ・マテ、編集:シャーマン・トッド、音楽:アルフレッド・ニューマン、主演:バーバラ・スタンウィック、1937年、106分、原題:Stella Dallas、配給:ユナイテッド・アーティスツ
サイレント期の1925年に続く二度目の映画化。
第一次大戦が終結してまもない1919年、マサチューセッツ州ミルハンプトンの工場街から話は始まる。紡績工場に勤める父と兄をもつステラ・マーティン(バーバラ・スタンウィック)は、若いながらも工場の重役であるハンサムなスティーヴン・ダラス(ジョン・ボールズ)との結婚を夢見ていた。スティーブンはかつて婚約相手がいたが、その女性ヘレン(バーバラ・オニール)は別の相手と結婚したものの、その夫が破産し自殺したため、遺産を継ぎ、三人の男の子と暮らしていた。こうした心境にあるスティーブンとデートを重ね、ついにステラは彼と結婚する。その過程でステラは、富裕層の男が好みそうな女性の仕草や趣味に対する研究を重ねていた。こうしてステラは、ようやくつましい労働者階級から、富裕層への仲間入りという念願を果たし、女児をもうける。・・・・・・
本作品は、この女児ローレル(アン・シャーリー)が成長し、やがて結婚するまでの物語を、ステラの生きざまを中心に描いたステラの life history 映画である。これを100分ちょっとに収めるのだから、ステラの結婚をはじめ、ローレルの成長過程を要点ごとに描写し、ステラの生きざまは圧縮されて語られている。
一方、現在でもこの映画が社会的な映画としてさまざまな議論に取り上げられるのは、当時のアメリカ女性の一典型としてステラが描かれていることによる。ステラは工員の父と兄をもち、貧しい生活を強いられており、いつしか自分も上流階級の夫人に納まりたいという願望をもっている。そこで、富裕層の紳士が好むようないで立ちをまね、読書をするふりをするなど、彼女なりに懸命の努力をする。結婚しても、その育ちからくる本性は隠せず、スティーヴンとの間もぎくしゃくし、やがて離婚へと話が展開する。
ところが、本作品における展開は、単純に、ステラが相も変わらずだらしがないことによって離婚することになるのではなく、溺愛する一人娘ローレルの将来の幸福をひたすら願うステラの母親としての強い気持ちから自発的になされ、ステラ自身から身を引くように展開している点だ。そしてこの展開こそ、女性の自律や女性の選択のありかた如何として、後世に議論を残すことになったのである。
こうしてステラ・ダラスは、当時のアメリカ女性の一部の代名詞となった。本編タイトルに、❝ Stella Dallas ❞ と ❝ ❞ が付いているのは、本編公開後のこうした世間の受け止め方をまさか事前に予期したものではなかろうが、後になってみれば、ステラという一人の女性の生き方はかなり象徴的であることがわかり、予期していたかのような結果になっていったということだろう。
小雨降る中、ローレルの挙式のようすを、彼女らに知られずに、建物の柵の外からステラは涙ながらに見つめている。有名なラストシーンではあるが、正確にはここはラストではなく、その後、カメラの横をステラが、ああ、よかった、という表情で通り過ぎていくシーンがラストとなる。自分は背伸びして上流階級の仲間入りをしたつもりであったが、出自からくる教養のなさ、品のなさ、感情の起伏の激しさ、は疑う余地もなかった。本作品に特徴的なのは、そういうステラが、そうした自分を自覚し、客観視し、娘だけにはそうなってほしくないと判断している点だ。それでも、離れ離れになるシーンや、このラストシーンでは、母親としての涙を禁じ得ないのだ。
終盤で、ローレルがやはり母をひとり置いてくることはできない、として、実家に戻ると、真に言いたいことを控え、むしろだらしのない男を家の中に入れて、私は相変わらずこんな母親なのよ、というところを見せるところがある。この姿を目の当たりにして、ついにローレルは母を諦めて去って行く。また、その前段階として、今ではスティーヴンの再婚相手となるヘレンの元を、ステラが単身、ローレルに内緒で訪れ、スティーヴンと離婚するのは了解したが、ローレルも引き取ってもらいたい、ローレルにはきちんとした教養や品性を身につけていってほしいからだ、と頼みこむシークエンスがある。元々知性や教養とは縁のない世界に育った娘であるステラのこうした決心と振る舞いは、ラストシーン以上に感動的である。
この二つのシーンでのバーバラ・スタンウィックの細やかな演技はみごとであり、全編にわたり、彼女の演技力が光る。年を経るごとに、特に結婚してからは、上流階級の仲間入りを果たしたという安心感からか、元の粗野で無礼な言動が目立つようになり、それは交流関係にも現れてくる。このあたりの演技の使い分けがみごとだ。ローレルが大きくなるにつれ、ステラが中年になってくると、おそらく下に何枚か重ね着をして、しまりのない胴体にしている。
上流階級の夫人を、はでな身なりでカネ離れのよい女と思い込んでいるステラや、後半、ローレルのことを真剣に思い、重大な決意をするステラなど、一作品のなかでの女性の変化をバーバラ・スタンウィックはうまく演じ分けている。
本作品の全米公開は、1937年8月6日となっている。1937年は昭和12年であり、大日本帝国は7月7日、盧溝橋事件を契機に日中戦争へと突き進んでいく。中国との全面的戦争が勃発するなか、一方で、のちに参戦することになる米国で、女性の生き方や選択をめぐる本作品のような映画が人気を博していた。だからどうということではない。歴史の交差というのは興味深い、と思うのだ。
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