映画 『ソフィアの夜明け』

監督・脚本:カメン・カレフ、製作:カメン・カレフ、ステファン・ピリョフ、フレデリク・ザンダー、撮影:ユリアン・アタナソフ、編集:カメン・カレフ、ステファン・ピリョフ、ヨハネス・ピンター、音楽:ジャン=ポール・ウォール、音響:モムチル・ボジコフ、ボリス・トラヤノフ、主演:フリスト・フリストフ、2009年、89分、カラー、ブルガリア映画、原題:Източн ипиеси(Iztochni piesi)(=EASTERN PLAYS、東部の劇)


ブルガリアの首都ソフィア近郊の高層団地に住むゲオルギ(オヴァネス・ドゥロシャン)は、17歳の高校生であるにもかかわらず、学校へも行かず、悪い仲間とつるんでいる。スキンヘッドにしたのは、仲間たちのネオナチ活動に加わるためであり、悪友のひとりに誘われてタトゥまで入れた。年取った父は再婚しており、一緒に住む母親は継母であった。一方、彼の年の離れた38歳の兄イツォ・フリスト(フリスト・フリストフ)は、木工所で働いているが、かつての薬物乱用を直すため、時折病院に行き、メサドン治療を受けていた。彼は美術学校の出身で、一人住まいのへやには、自分の描いた絵や自分で作った工作が置いてあった。しかし今では、未来への展望もなく、その日暮らしを繰り返しているだけであった。木工所は郊外にあり、都心のアパートからバスでそこに通っている。一人では家賃が払えないため、サシェという同居人と一緒の生活だ。

イツォには恋人ニキ(ニコリナ・ヤンチェヴァ)がいて、ニキに言われるまでその日がニキの誕生日であることも忘れるほどに心は何処であった。ニキに誘われ、レストランで食事をするが、会話もせず、気乗りもせず、誕生日だから楽しい会話をしようというニキに対し、誕生日がどうした、と平気で言い、ニキは呆れて帰ってしまう。近くの席には、トルコ人親子3人が食事をとっていた。3人はベルリンにいる兄に会う旅行の途中であった。3人が食事を終えて帰る途中、ブルガリアのネオナチグループに襲撃され、父親は大怪我をする。父親を直接殴ったのはほかならぬゲオルギであり、やはり帰る途中のイツォが目撃する。グループが去ったあとイツォは救急車を呼ぶ。翌日、病院へ行くと、3人に感謝され、娘のウシュル(サーデット・ウシュル・アクソイ)と病室の外で話し、携帯の番号を教える。互いに好意をもったものの、ケガをした父に、助けてくれたとはいえブルガリア人とは付き合うなと言われ、ウシュルは、一日早く立つことになったと嘘をついてソフィアを去っていく。

久しぶりに自宅にもどったイツォは、父、継母、ゲオルギと4人で食事をするが、父と口論となり、ゲオルギも継母と言い争う。外に出たイツォとゲオルギは、二人水入らずで語り合う。そこから見えるソフィアの風景のことなど互いにいろいろ話すうち、イツォはゲオルギに、先日のようなマネをするなと諫めた。ゲオルギはその後、悪友からの誘いに乗らなかった。・・・・・・


主演のフリスト・フリストフは、本作品撮影終了間近に急逝しており、本編終了後に、フリストへの献辞が出る。


本作品は、『水の中のナイフ』(1962年)で脚本を担当し、『イレブン・ミニッツ』(2015年) などの監督・脚本で知られるイエジー・スコリモフスキが高く評価した映画としても知られる。

社会の底辺でもがきながら、どうにか生きようとしていくする人間を描いた作品は古今東西たくさんあるが、となると、その描き方に個性が発揮されるのだ。芸術の世界に生きようと思い、苦学して大学や専門学校で絵画や音楽の勉強を修めても、生活必需ではないため、それで食っていくのは難しいのは、いずこの国でも同じだ。それでフリストが麻薬や酒に溺れていったのかどうかは、本編には描かれない。この映画には、理由や同情を呼びうる回想シーンは一切出てこない。


原タイトル、Източнипиеси(=EASTERN PLAYS、東部の劇)は、おそらく、欧州におけるブルガリアの位置(東ヨーロッパ)からして、その首都ソフィアを初めとするブルガリアの青年たちによる出来事、あるいは、彼らの生きざま、という意味に解釈できるだろう。邦題も、内容からして、ブルガリアの若者たちの再生という意味を込めたものなのだろう。


イツォは、仕事や生活に関し、自らの将来に不安を覚えており、日々の仕事や何度も訪ねてくるニキとの対面でも、不安は簡単に取り除かれない。ウシュルと食事をしたとき、ウシュルが言う、世の中全体がよくない方向に行っている、人々はみな病んできている、私たちも病んでいる、と。それに対しイツォは、それは直しようがないよね、と言うが、ウシュルは、ごく少数だけど、ある人が触れてくれることで直る可能性がある、と答える。


メサドン治療の主治医に相談しても不安は解消しなかったが、ある晩、道端で、荷物を運ぶのを手伝ってくれ、と老人に頼まれる。荷物を持ってその老人のアパートまで行くと、疲労からか、椅子に腰かけたままうたた寝をしてしまう。目が覚めると、目の前に老人がいて、肩に手を置いてくれ、膝をなでてくれた。イツォは老人に対し、ここは居心地がよい、以前にも来たような気がする、と答え、また居眠りしてしまう。本作品にはロックバンドの演奏シーンが何度か出てくるが、この一連のシークエンスだけは、バッハのピアノ曲が流れる。ウシュルの言ったことは、この老人のことだったかのように、イツォを救う神が現われるようなシーンとも言える。


翌日イツォの住まいに、ゲオルギとその彼女アンジェラが、今晩泊めてくれと尋ねてくる。ゲオルギは自宅を出てきたと言う。そして、イツォに、絵の描き方を習いたいと言う。イツォは、画用紙にさらりと絵を描いてみる。

翌朝、いつものようにバスに乗り、窓外を眺め、街角に立つイツォの姿を映し、エンディングとなる。


この映画には、イツォがバスに乗る時の窓外の景色など、昼夜を問わず、当時のソフィアの街並みがよく映される。こうした景色や風景のなかに、イツォもゲオルギもいるのだ。

冒頭近くと途中に二度、政治家のインタビューも混じる。未来に不安をもち、どちらかと言えば社会の底辺に生きる若者や、若者とも言えぬ年齢となったイツォの生きざまを丁寧に描写し、政府に反抗してデモを行なったり、仲間と犯罪に走る姿などのストーリーに走らなかった点が、この映画の個性であると言えよう。


自身を心から慕ってくれる恋人がいても、ライヴ会場ですてきな歌を聴いても、安い賃金とはいえ仕事に就いていても、将来に対する不安や自身のアイデンティティのなさは解決されず、心は満足しない。だがそれを周囲や生い立ち、国家のせいにせず、また決して他人に甘えず、自らその不安を解決していこうとするイツォの姿は共感を呼ぶ。


イツォが老人の家で居眠りから起きると、目の前の椅子には、幼児が座っていた。そこを出て階段を下るとき、女性とすれ違うが、おそらくその子の母親が帰ってきたところなのだろう。このシーンにおいて、この幼児は、イツォの幼年時を象徴している。当然ながらイツォにもこのような子供の頃があり、それが今ではこんなていたらくになってしまった、と自身に思い起こさせるシーンなのだ。

ここにおいて、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』が思い出される。いわゆる精神の三段階の変化、どのようにして精神が駱駝となるのか、駱駝は獅子となるのか、そして最後に、獅子は幼子になるのかということが圧縮されているようで、ニーチェの言わんとした含意がそのまま読み取れるシーンでもある。カメン・カレフはおそらく、『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んでいることだろう。

本編が終わっても、イツォに明るい未来が訪れたわけではなく、存在論的な不安が解消されたわけでもない。しかし、ほんの少し、本当にほんの少し、不安が薄らいだのである。


ウシュル一家がソフィアの町を車で去るとき、ゲオルギが道路を渡ろうと飛び出して、その車に轢かれそうになるシーンがある。ウシュルも父母とも、飛び出した若者がウシュルの父を殴った当人とは気付かず、ゲオルギもまた、自分の殴った父とその家族だとは気付かない。互いに、すみません、というジェスチャをする。こうした挿入は、イエジー・スコリモフスキの『イレブン・ミニッツ』に通じる演出だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。