監督:今井正、原作:芥川龍之介、脚本:水木洋子、撮影:宮川一夫、美術:内藤昭、照明:中岡源権、編集:谷口登司夫、音楽:真鍋理一郎、特撮:牧浦地志、主演:京マチ子、稲野和子、1976年、97分、配給:松竹
大正8年、東京下町の富豪の屋敷で、その家の娘、お島(京マチ子)と、養子に入った新三(江原真二郎)の婚礼が終わったところから始まる。この屋敷には、お島の父(大滝秀治)・母(東恵美子)以外に、お島の従姉妹で三つ年上のさわ(稲野和子)も暮らしていた。翌日、下女が新三の紋付の袂(たもと)から挿し櫛を見つけた。それはさわのものであった。さわは、幼いころから一緒に育てられてきたものの、何かにつけお島に対し、顔には出さないものの競争心や敵愾心を抱いて今日まで生きてきた。新三は事実、さわと懇ろになっており、外を二人で歩いているところを番頭に見られるなどしていた。
初夜を迎えたが、新三は性行為がうまくいかず、翌晩もまた同じであった。お島は産婦人科に検査に行ったが、医師(内藤武敏)には異常ないと言われた。お島に何か得体の知れない悪霊が憑(つ)いていると考えた両親は、行者(三國連太郎)に頼み、悪霊を祓ってもらう。行者は禊祓(みそぎはらえ)をおこなう。さらに水垢離(みずごり)による強固なお祓いが必要と考えた行者は、山奥の滝に打たれながらお祓いをするも、最後には、気を失いかけているお島を、呪文を唱えながら犯す。
お島には、さわへの疑いもあり、外を遊び歩く夫には相手にしてもらえぬ日々が続くうち、関東大震災が起こり、屋敷は全焼全滅し、両親も従業員もみな死亡した。お島は裁縫の稽古に出ていて助かり、その後ひとり歩いて赤羽に向かっていた。赤羽が地方への列車のターミナル駅だったからである。徒歩で上野に向かう途中、品の良い男、井原(児玉清)と出遭い、道中で相思相愛になる。・・・・・・
いわゆるジャパニーズオカルト映画であり、邦画にも『東海道四谷怪談』(1959年)など怪奇映画の系列はあるが、本作品は、日本共産党党員であり反戦映画・左翼映画を中心に作った今井正が、『青い山脈』(1949年)、『にごりえ』(1953年)、『米』(1957年)といった人間生活や男女の情を描いたドラマ路線の上に製作した娯楽作品と言えるだろう。何より、単に怪奇映画というには、京マチ子、三國連太郎をはじめ、今井作品に縁の深い江原真二郎、内藤武敏など、出演者が豪華である。文学座の稲野和子、劇団民藝の北林谷栄、劇団青年座の初井言榮といった左系バリバリの演劇女優陣に混じり、映画演劇界では少数派になるだろう保守愛国派の児玉清が参加しているのもおもしろい。
本編に入る前に、大正時代の古い写真が数葉使われ、都会の真ん中でこんな不可思議なことが起きていたことをあなたは信じられるか、といったナレーションが入る。
冒頭のシーンは、18歳で婿をとったお島の婚礼披露宴の直後のようすで始まる。角隠しを添えた文金高島田に黒の引き振袖で登場する京マチ子の姿は、まことにあでやかで、慎ましくも品格を保ち、至福の表情を隠せない。衣装を替えるため二階への階段を昇っていく。そこに現れたさわは、とてもこのおめでたいひとときにはふさわしからぬ表情をしている。この時点で、さわがお島に対し、すでに胸に一物(いちもつ)あることが察せられる。ラスト近くではお島は、このときの美しい容姿からは想像もできぬような醜貌へと変化するのである。
お島は井原を頼って、伊香保にある出張所である井原の住まいに同居するが、井原には、北海道に残してきた妻子があった。ある日、井原の娘、千鳥が水瓶に落ちて死んだ、という電報が届き、井原は北海道に帰ってしまう。お島は妊娠2ヶ月であると井原に告げるが、井原の子かどうかは不明のままであり、体調も悪くしたことで、結局その子を授からないままとなった。千鳥の生き霊が自分に取り憑くのをお島は夢に見たという。この頃のお島の話し相手は、産婆(北林谷栄)だけであり、自分の身にふりかかる不幸についていろいろ相談もしたが、解決方法は見つからなかった。産婆は、何かのときはこれで体を撫でるとよい、として、観音様の数珠をくれた。
それから「10年後の冬」と題する後半に進む。後半のほうが前半よりやや長い。
お島は浅草でひとり仕立て屋を営み、評判がよかった。そこへ、評判を聞きつけたさわが十数年ぶりに尋ねてくる。さわは震災のとき、関東から離れたところにいて難を免れたのである。懐かしくもあり、さわには娘、お敏(神保美喜)ができていて、ある呉服問屋の跡取り息子、新蔵(志垣太郎)の許嫁(いいなずけ)となったため、記念に晴れ着を編んでほしい、とお島に依頼しに来たのであるが、実際は、離れ離れになってからもお島に対するライバル意識は消えておらず、お島が生きていると知ってから、お島が不幸になるようにと念じ、いわくありげな老婆の教え主(=行者)(初井言栄)に頼み、お島に更なる災難がまとわりつくよう祈願していたのである。しかし、この行者の念仏は、お祓いではなく呪いそのものであったのだ。教え主によると、その婆沙羅(ばさら)大神は、人間の生気をほしがっており、教え主の目的は、その人間の体を婆沙羅に捧げることにあった。婆沙羅はお島から生気を奪い、お敏もその生贄(いけにえ)となりつつあった。
新三との不幸な婚姻につづき、井原の娘の生き霊に取り憑かれ、さわの頼んだ行者に呪われ、お島は、自身の意志とは無関係に、不幸への道を進んで行かざるを得ない。これを運命と呼ぶのなら、この運命に翻弄されるお島のようすを、映像化したのが本作品である。
ラストで、悪霊と化した妖怪づらのお島がお敏の生気を奪おうとしているところへ、さわと新蔵が駆けつける。お敏は救われるが、お島を刺そうとしたさわは、逆にその刃物でお島に首を刺され、お島の念力で、前を流れる川へ放り出される。そこに、翌朝、さわの遺体は上がったが、お島の姿はどこにも見当たらず、未だに生きているのか死んでいるのかもわからない、というナレーションが入り、完となる。
妖婆(ようば)とは、悪霊に取り憑つかれ、妖怪のような顔になった婆さんという意味と、婆沙羅に生気を奪われた婆さんになったお島とをかけていると思われる。
一人の裕福な家に生まれた美しい娘が、これを妬む従姉妹の怨念によって、その幸せの絶頂から一気に妖怪にまで変化していく。悪運に翻弄され醜く変貌していくようすは、それだけでもエンタメ性充分だ。加えて、冒頭のナレーションで語られるように、人の世にあって、人の力以外の何がしかの力が人間に作用するという、奇怪な現象を描写するという試みも興味深い。演技達者の俳優陣と、重ね撮りなど各種の撮影方法によって展開される<現代の妖怪劇>は、それ自体みごとな芸術作品となっている。
0コメント