監督:ハワード・ホークス、脚本:ベン・ヘクト、製作:ハワード・ヒューズ、撮影 :リー・ガームス、L・ウィリアム・オコンネル、主演:ポール・ムニ、1932年(昭和7年)、93分、配給:ユナイテッド・アーティスツ、原題:Scarface
禁酒法時代(1920年~1933年)のシカゴの夜の街角。トニー・カモンテ(ポール・ムニ)は、対立する大親分ロヴォ(オズグット・パーキンス)に買収され、自分の親分であるルイ・コステロ(ハリー・J・ヴェハー)がパーティ後ひとりになったところを銃殺する。逮捕されるも、ロヴォの計らいですぐに釈放され、ロヴォの直近の手下となる。その後トニーは、南地区の親分を射殺するなど有無を言わさぬ暴力でビール密売の縄張りを奪い、さらにギャフニー(ボリス・カーロフ)を親分とする北地区にも手を伸ばそうとする。ロヴォはこの計画に反対するが、マシンガンを手に入れていよいよ強気になったトニーは、大虐殺で北地区をも征服する。さらにトニーは、ロヴォの情婦ポピー(カレン・モーレイ)にモーションをかけ、自分の女にしようとする。一方、自分の妹チェスカ(アン・ドゥヴォーラック)に対しては、その溺愛から厳しく接し、男と交際することも禁じていた。・・・・・・
トニーに手を焼き、ポピーの関係を察知したロヴォは、子分にトニーの暗殺を命じるが、辛くも逃れ、逆にロヴォさえ射殺する。トニーのそばには、常に用心棒役のリナルド(ジョージ・ラフト)が付いていたが、リナルドが家出したチェスカといっしょにいることがわかると、チェスカの前でリナルドを射殺する。
この冷酷非情で無慈悲な極悪人であるトニーは、アル・カポネをモデルとしていると言われる。原題は、頬に傷のあるカポネのあだ名でもある。
冒頭にこの映画を作った理由が述べられる。極悪人に何もできない警察や政府に対し、国民の声を届けよう、というメッセージである。その表われとして、警察の動きも多少描かれる。
ギャング映画のお手本と言われる映画であり、その後の映画人に与えた影響は大きかっただろう。サスペンスやスリラーものと異なり、ギャングもの・アクションものは、技術の進歩によって次々に新たなシーンを産んできているので、今日からすると物足りない感じは否めないが、ラストでの二階の窓と地上の警察との攻防や、トニーが襲撃された際の二台の車のカーチェイスや、トニーが追っ手の車に自分の車をわざと体当たりさせて同時に道路下に転落するシーンなど、派手なアクションシーンとして当時は珍しかったに違いない。何しろ、1932年、日本で言えば昭和7年の映画なのだ。
メインテーマは、冷酷で凶悪なトニーの生きざまとその死である。本DVDでは、ラストに、トニーがチェスカと二人になり、警察と撃ち合いになるところから、二種類のエンディングが収録されている。マシンガンでビール密売の縄張りを奪うところなどは残虐であるが、一般市民を死傷させるシーンはない。専ら、裏世界に生きる人間と警察だけに焦点を絞ったのは、不特定多数の殺害現場を避けたからだろう。
では、そのトニーのキャラクター描写はどうかと言われると、やや描き込みが足りないと思われる。トニーは、そのままタイトルになっているキャラクターだ。闇の世界に生きる男として、その冷酷さや野心、妹に対する潔癖なほどの愛情などは描かれている。ポピーに対する愛情も描かれ、ロヴォを殺害したあと、二人はひと月ほど雲隠れする。こうした事実だけで、観る側がトニーの人物像をトータルにとらえることができるかどうか、やや疑問が残る。映画における人物像は、他者との対話やしぐさで完成形に近づく。例えば、トニーに、常に共にいるリナルド、母、チェスカ、ポピー、ロヴォと、本題に直接かかわらない会話をさせて、適所に挿入することは考えられる。これをしなかったのは、よく解釈すれば、そうした挿入によって、トニーの狂気じみた凶暴性を失いたくなかったからだろう。
冒頭の長回し、トニーが静かに忍び寄って誰かを殺すときは、小さな口笛を吹く、リナルドはいつもコインを投げている、トニーに付いているアンジェロ(ヴィンス・バーネット)は文字が書けない、などの設定により、映画としてただシリアスではないという姿勢も見られる点は評価したい。
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