映画 『わが谷は緑なりき』

監督:ジョン・フォード、脚本:フィリップ・ダン、原作:リチャード・レウェリン『How Green Was My Valley』、製作:ダリル・F・ザナック、撮影:アーサー・C・ミラー、編集:ジェームズ・B・クラーク、美術:リチャード・デイ、ネイサン・ジュラン、トーマス・リトル、音楽:アルフレッド・ニューマン、主演:ロディ・マクドウォール、1941年、118分、配給:20世紀フォックス、原題:How Green Was My Valley


19世紀末、イギリス・ウェールズ地方のある炭坑町を舞台とし、そこに住む炭鉱夫モーガン一家の生活過程を描いた作品。

ヒュー・モーガンは生まれ故郷の炭鉱の集落、ロンダの谷を出ようとしていた。ヒューは、子供の頃、一家が揃って幸せだった時代を回想し、そのまま本編に入る。本編は、子供時代のヒュー(ロディ・マクドウォール)の目を中心に描かれ、時々現在のヒューの語りが入る。

モーガン家は、末っ子のヒュー(ロディ・マクドウォール)を除き、父ギルム(ドナルド・クリスプ)はじめ5人の兄はみな炭鉱夫であった。皆が毎日真っ黒になって帰ると、姉アンハード(モーリン・オハラ)が湧かした湯で身体を洗い、母ベス(サラ・オールグッド)の手料理を食べるのが慣わしであった。長兄イヴォール(パトリック・ノウルズ)とブローウィン(アンナ・リー)が教会で結婚式を挙げる。そこでその教会の牧師グリュフィド(ウォルター・ピジョン)はアンハードと初めて会い、互いに視線を交わす。

突然の賃下げが宣告され、モーガンの息子たちは組合を作ろうと父に掛け合うが、拒否され、4人の兄は谷を出て行く。ストに参加しないギルムに対し不満をもつ炭鉱夫数人がモーガンの家に石を投げ、窓ガラスを割る。夜分、雪の中、炭鉱夫たちの集会が開かれ、気丈なベスは高い所からギルムを弁護する演説を行なう。その帰りに、ベスは池に落ち、付き添ってきたヒューも氷水の中に浸かってしまう。ヒューは両脚を痛め、再び歩けるようになるまで、かなりの時間を要する、と言われる。やがて春になり、ヒューはグリュフィドの支えで、野山を歩く練習をする。・・・・・・


「日曜洋画劇場」で見て感銘を受けてから、幾度となく観てきた映画だ。教員時代、すばらしい映画を一つ挙げてくれと生徒に言われ、授業中に話したこともある。

村人はみな日曜日にチャペルに集まり礼拝する、炭鉱夫たちは仕事が終えてぞろぞろ歩いて帰るとき大きな声で歌を歌っている、家庭のマナーなどにイギリス流の規律や礼儀作法が浸透している、ヒューが通う学校が好例だが、教師までもが炭鉱夫の子に対し偏見をもっている、炭鉱主の都合で賃金が削られたり解雇されたりする、グリュフィドは牧師であるにもかかわらず、組合を作ることに賛成し、助祭から非難される、・・・家庭に直結するようなこうしたさまざまなテーマを盛り込み、一定の速さでストーリーが展開する。いくつかに分けられたテーマをもち、それぞれがまとまりをもちつつ、次のテーマに進んでいく。飽きがこない構成で、終わってみてこれが2時間の映画だったとは思えない。3時間の映画ではなかったかと思うほどに、イヤミなくエピソードが語られていく。


ヒューは、兄弟のなかで初めて学校に通うことになる。他の生徒からいじめなども描かれる。立派に卒業したあと、父に何になるかと尋ねられ、自分も炭鉱夫になると言う。働きだしてしばらくすると落盤事故があり、父は炭鉱の底深く岩の崩れたところに動けなくなっているのを、ヒューとグリュフィドに発見される。おまえはもう一人前だ、とヒューに言い残して父は死亡する。

この映画には、死以外にも、出産、結婚式、葬式、差別などが盛り込まれ、人生や社会の縮図を見るようだ。


冒頭すぐ、父とヒューが散策からの帰り道、二人は遠くにアンハードの姿を見る。ヒューが大声でアンハードの名を呼びかけると、アンハードもヒューに呼びかける。このシーンは、家族のドラマへの導入としてみごとだ。

カメラは、モノクロのよさを充分に理解し、その効果を出している。舞台の半分近くがモーガンの家の中であるが、そこに起きるさまざま出来事に対応するように、フレームの中の光の集まるところと暗くなるところを使い分けている。ヒューがグリュフィドの付き添い野山を歩く練習をするシーンでも、木立と空の見える空間の配分に注意していることがわかるし、ここでも、二人や一人を画面いっぱいに映すようなことをしていない。


大いなる人間讃歌の映画であると同時に、ひたむきで誠実な人々の生き方をも描写することのできた類いまれな作品だ。アルフレッド・ニューマンによる音楽も演出効果が高いが、人々の高らかな斉唱の声も品格を添えている。アルフレッド・ニューマンは、20世紀FOXのオープニング・タイトル・ミュージックをつくった作曲家である。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。