映画 『佐々木、イン、マイマイン』

監督:内山拓也、脚本:内山拓也、細川岳、製作:汐田海平、撮影:四宮秀俊、米倉伸、照明:秋山恵二郎、高井大樹、美術:福島奈央花、編集:今井大介、音楽:小野川浩幸、主演:藤原季節、2020年、119分、配給:パルコ


石井悠二(藤原季節)は俳優をめざして上京してきたが、すでに20代後半になり、いまだに日の目を見ることができないまま、アルバイトで食いつないでいる。ユキ(萩原みのり)と同棲しているが、先の見通しが立たないことから二人の間に距離ができ、一緒に寝ることもなく、ユキは冬までにはここを出ていくことになっている。

アルバイト先で高校同期の多田(遊屋慎太郎)と会い、帰りに飲むうち、佐々木(細川岳)という奔放なヤツがいたことに話が及ぶ。高校時代は、ここに木村(森優作)を加え、四人でよくツルんでいたのだった。佐々木は、クラス男子から佐々木コールを浴びると、調子に乗って教室内でも全裸になり踊り狂う男であったが、いろいろな本を読み、絵を描き、正義感も強く、今はひとり身となった父親思いの優しい面もあった。

その後、悠二の日々には、折に触れ佐々木との想い出が登場し、高校時代に佐々木と交わした会話や佐々木の家で遊んだことなどが思い返され、佐々木の生命力のようなものに感化され、悠二は、自分に正直になり、ポジティヴに前を向き、役者の道をめざして生きていくことを決意する。


冒頭のシーンは、ラストのシーンとつながっている。本編は回想になり、その本編に、さらに高校時代の思い出が随時挿入される、という構成だ。悠二は高校卒業後、一度佐々木に会ったが、それからさらに5年経っている設定だ。


悠二が、パワーのある、また、真っ正直なアドバイスもくれた佐々木の存在により、自らの生き方を見つめ直し、選んだ道を肯定的に生きていくことにする、という物語で、そのためには、佐々木という人間の存在が、かなり強烈に描かれないと失敗する可能性があった、ということだ。しかも、本編では佐々木の存在は、回想として入り込むカタチとなっている。

しかし、失敗はなかった。回想部分と現在が、悠二に対する重みや影響力という点で均衡を保っており、佐々木との会話に過不足がなく、今の悠二のさまざまな不安や迷いを抉(えぐ)るようなやりとりになっているからである。佐々木は、はちゃめちゃなことをし、剽軽(ひょうきん)な態度で周囲を楽しませる一方で、自分に対する自覚や分析はあり、そのうえで悠二とも話をするので、その誠実さ・純粋さに、悠二も素直に耳を貸すのである。


カメラは、固定カメラを中心として、それぞれのシチュエーションを落ち着いて撮っている。これが、狭い室内などでも横着して手持ちだけで終わらせていれば、不必要な効果を生み、そのシーンに持たせたい意味が半減してしまったであろう。フレーム内の人物の立ち位置など含め、<寄り>と<引き>をうまく組み合わせている。編集面では、特に前半において、回想から現在に戻るときの処理が早めでよい。こうした方法は、観る側を後へと引っ張るのだ。


終盤で、悠二が、横たわる佐々木を見つめながら、言うべきことをきちんと言わないと、と決意し、ユキとの最後の会話を交わす。さらに、いま稽古中の芝居の台詞が、佐々木とのやりとりから始まり今日にいたる自身の身の上に似ていることもあり、喪服を着てその台詞をつぶやきながら全力で走り、それが現在へとクロスする。そして、いわばどんでん返しのようなラストへとつながっていく。

最後のシーンがなければ、観る側をそのままジーンとさせてのエンディングとなったであろうが、このシーンがあったことで、この作品そのものも虚構であることを正直に明かしている。しかし、回想であれ虚構であれ、そこからわれわれが、今日の自分自身を見つめ直すなどということは日常茶飯だ。むしろ、回想=虚構でもあるので、回想から何らか刺激を受けるということは、虚構から何がしかの影響を受けることと同じなのである。

この結末からしても、本作品は、設定が高校卒業数年後のことでもあり、いわゆる青春映画ではなく、「青春モラトリアム映画」とカテゴライズされるだろう。


本作品はいろいろな評価を呼ぶだろうが、確実なことは、観終わって、監督のこの映画を<撮る姿勢>がどーんとこちらに伝わってくる点だ。誠実にひたむきに作られ、言わんとすること・描きたかったことが、偉ぶることなく、そのまますーっとこちらに伝わってくる。

人脈を駆使し映画祭目当てで作られたような映画、伝統的な手段を無視し奇を衒(てら)って新奇なアイデアを押し通したような映画、テレビ局や大手広告会社がスポンサーについてカネだけはふんだんに使った映画、・・・こうした映画に、本作品のような、本編の内容とは違った次元での誠実さというものは伝わってこない。

今後のこの監督の活躍に期待したい。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。