監督・脚本:ジョン・カサヴェテス、製作:モーリス・マッケンドリー、ニコ・パパタキス、撮影:エリック・コルマー、編集:モールス・マッケンドリー、音楽:チャールズ・ミンガス、主演:ベン・カルーザス、1959年、82分、配給:ザジフィルムズ、原題:Shadows
1950年代のニューヨーク、マンハッタンが舞台。
ベニー(ベン・カルーザス)は、トム(トム・アレン)、デニス(デニス・サラス)とつるんで、今夜も踊り歩き、飲み歩き、最後は女の子3人をそれぞれに口説いている。ベニーには、ジャズシンガーの兄ヒュー(ヒュー・ハード)と、モノ書きで食べていこうとしているレリア(レリア・ゴルドーニ)という妹がいる。
ヒューの雇い主は、歌い手でなく、ステージに上がる女の子たちの司会を務めるように言ってくるが、歌手としてのプライドもあり、そんな仕事は受け入れられない、と言う。よき理解者であるヒューのマネージャー・ルパート(ルパート・クロス)に相談してから決める、と答える。
レリアは、あるパーティで、トニー(アンソニー・レイ)と知り合い、互いに惹かれ、ひと夜を過ごす。レリアを自宅まで送りに行ったトニーは、帰ってきたヒューとベニーに会う。トニーは途端に態度を変え、出て行く。・・・・・・
1950年代は、アメリカ文学史上、ビート・ジェネレーションと呼ばれる時代であり、彼らの文学スタイルは、ジャズの即興性から影響を受けていたとされている。ビート・ジェネレーションは、性の解放や自由恋愛、ゲイやバイセクシャルに対する寛容、ドラッグの使用、反戦的態度などに象徴される。こうした特徴を、映像という<現象>で捉えたのが本作品で、俳優として有名になる前のジョン・カサヴェテスの初監督作品である。
カサヴェテスは演劇のワークショップを開設し、ほとんどの登場人物を素人のまま出演させ、即興の演技を中心に撮影を行った。しかし、即興といっても、観ている限り、それは台詞に関することで、カメラは手持ちが多いとはいえ、後の『フェイシズ』(1968年)などに比べれば、まだ比較的落ち着いている。音楽は、同時代のジャズ・ベーシスト、チャールズ・ミンガスが担当し、即興演奏の部分がある。
原題は Shadows で、50年代前半には朝鮮戦争もあり、戦後復興を遂げつつあると同時に、戦争へも参加する当時のアメリカの<影>の部分に焦点を当てた作品である。これはまた、政府の姿勢への反動でもあり、20世紀フォックスなど映像大資本に対するアンチテーゼでもあったろう。
本作品について、人種問題に揺れる三人の兄妹を描いた、という解説が多いが、人種問題だけでなく、当時のアメリカの底辺や光の当たらない部分に、光を当てた作品である。光の当たらない部分とは、何も裏の社会や闇の部分ということではない。この映画には、ドラッグを吸うようなシーンは出てこないし、殺人や強盗が出てくるわけでもない。ラスト近くに初めて殴り合いのシーンが出てくるが、これが本作品の<統括>なのである。
巨大な資本力や社会の優勢的立場にいる者たちだけで、アメリカ社会は成り立ってはいない、という注意喚起の意味合いももっている。即ち、<影>と言いつつ、その<影>こそ<光>であると指摘したかったのだ。
映像や音楽を含め、一貫したわかりやすい主張のある映画で、当時評価されたのも理解できる。だた、隙か嫌いかと言われれば、あまり好きな映画ではない。
0コメント