監督:ブライアン・シンガー、脚本:クリストファー・マッカリー、製作:ブライアン・シンガー、マイケル・マクドネル、撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル、編集・音楽:ジョン・オットマン、主演:ケヴィン・スペイシー、1995年、106分、原題:The Usual Suspects(=いつものヤツ(=容疑者)ら)
カリフォルニア州のサンペドロ港に停泊していた船が爆発・炎上し、多数の死者が出た。この船は、欧州のマフィア組織の麻薬運搬船であり、そのマフィアと対立組織の抗争の結果であるかと思われた。関税局の捜査官のクイヤン(チャズ・パルミンテリ)は、その事件で一人だけ無傷で生き残った、ヴァーバル・キント(ケヴィン・スペイシー)を尋問し、事実を聞き出そうとする。キントは詐欺師で、左の手足に麻痺がある男だった。・・・・・・
かつて、今はなき「銀座テアトル西友」の封切で観た。とても懐かしい。その後もときどき観てきたが、レビューするのは初めてだ。
始まってすぐ、マイケル・マクマナス(スティーヴン・ボールドウィン) 、ディーン・キートン(ガブリエル・バーン)、フレッド・フェンスター(ベニチオ・デル・トロ) 、トッド・ホックニー(ケヴィン・ポラック)、ヴァーバル・キントが、ある一件で順に逮捕され、取り調べを受ける。それぞれに前科のある「いつものヤツ(=容疑者)ら」を逮捕したわけだが、その晩同じへやに留置されたばかりに、大きなヤマを迎えることになる。
そして、ラストで、クイヤンに話したキントの話が、すべて出まかせだったことがわかり、実は組織の大物であったキントは、まんまとクイヤンに一杯喰わせたのであった。
カイザー・ソゼという名前が出てくる。Kaiser といえば、ドイツ語で「皇帝」のことであり、キントは、彼が実在するかわからないと言いつつも、その恐ろしいエピソードを話すことを忘れなかった。カイザー・ソゼは実在していたのである。全身に火傷を負ったハンガリー人からもその名が出ていた。船の炎上中、ベッドで「カイザー・ソゼ!」と唱え、震え上がった年寄りがいたが、これを射殺したのは、まさしく「カイザー・ソゼ(=キント)」だった、というわけだ。そればかりか、キントは実際には、船に侵入してマフィアと戦っていた仲間さえも殺しているのである。
脚本頼みの映画には違いないが、心地よく裏切ってくれたあたり、エンタメ性は担保されていることになるだろう。いろいろな伏線めいた<モノ>や<視線>があり、それが後々キントの虚言に結びつくとわかるとニンマリもする。どんでん返しの映画は、古くは『情婦』(1957年)などいろいろあるのだが、材料をばら撒きつつそのままうまく運ばせていくストーリーは難しかっただろう。余談だが、『情婦』の原題は、Witness for the Prosecution(=検察側の証人)であり、ラスト近くクイヤンの台詞にも似たような言い回しがあっておもしろい。
カメラは、冒頭から、空気感のある静かな光景を映している。夜の雰囲気、それもただならぬ気配を感じさせる雰囲気を出すには、ロケーション、カメラアングル、適切な照明が不可欠だ。
背景にも凝っている。キートンのへやはモダーンな照明器具や絵画が並び、5人がレッドフット(ピーター・グリーン)と取り引きする現場には、中国風の東屋が置かれている。弁護士として登場するコバヤシ(ピート・ポスルスウェイト)も、日本の苗字を使い、いかにも東洋風な容貌の俳優を使っているところもおもしろい。
途中でソゼに殺されたことになっているフェンスター役のベニチオ・デル・トロは、話しぶりの演技で笑ってしまうが、身につけるもののファッションがよい。
音楽は、編集技師でもあり曲もつくるジョン・オットマンが担当している。編集と音楽が同一人物というのは珍しいが、曲を知っているからこそ適切なところでフィルムを切ることができるだろう。転調を繰り返しながら流されるサスペンスタッチのテーマはよかった。
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