映画 『ディーパンの闘い』

監督:ジャック・オーディアール、脚本:ジャック・オーディアール、トマ・ビデガン、ノエ・ドゥブレ、撮影:エポニーヌ・モマンソー、編集:ジュリエット・ウェルフラン、音楽:ニコラス・ジャー、主演:アントニーターサン・ジェスターサン、2015年、115分、フランス映画、原題:Dheepan


内戦の続くスリランカで、反政府活動をし、妻子を殺された男ディーパン(アントニーターサン・ジェスターサン)は、全くの他人であるヤリニ(カレアスワリ・スリニバサン)とヤリニが難民キャンプで拾ってきたイラヤル(カラウタヤニ・ヴィナシタンビ)を妻子と偽装し、何とかフランスへと出国する。フランスの片田舎に着いた3人は、二棟あるアパートに住む。へやはかなり荒れ果てていたが、屋根があるだけマシであった。ディーパンは自分たちの住む一方のアパートの管理人になり、郵便物の仕分けや階段の掃除などをまじめにやっていた。イラヤルだけがフランス語を少しでき、両親や学校の先生との通訳をしていたが、本格的に学校に通うことになると、外国人ばかり集めたクラスで、まずフランス語の勉強をすることになった。越してきた当初から、向かいのアパートには柄の悪い若者たちが出入りしていることを知っていたが、ヤリニが仕事として世話をすることになった老人にはブラヒム(ヴァンサン・ロティエ)という息子がおり、キナ臭い取り引きに手を出しているようだった。・・・・・・


モンテスキューの『ペルシア人の手紙』に触発された脚本とのことだが、ペルシア貴族のフランス旅行記が、まともに参考になったとは思えない。故郷から遠い異国において、故郷の有難みや懐かしさを、ストーリー展開の契機にした程度であろう。


スリランカにおけるディーパンの奮闘ぶりや悲劇が前に置かれるかと思っていたが、その部分には言及されない。ヤリニやイラヤルについても、ヤリニが難民キャンプで、親のいない子を必死に探すようすから始まり、イラヤルの手を引くと、すぐに国外脱出となり、メインは、フランスでの3人の生活ぶりとなっている。ディーパンを演じたアントニーターサン・ジェスターサンは、実際にタミル・タイガーの少年兵であったとのことだから、そのへんの描写があると、どんな思いで故郷を後にせざるを得ないかに、より共感できたのではないか。故郷を思い出すシーンが2回ほど入る。そこに使われるのはほぼ同じ映像で、木々が生い茂った林であり、象徴的な紋様のあるインド象である。


ブラヒムのしていることは詳しく描かれないが、いきなり銃撃戦があり、ただでさえそういう音に敏感になっているヤリニは、ひとり勝手に、従兄弟の住むというイギリスへ行こうとするが、ディーパンに阻止される。二度目の銃撃戦のときは、ヤリニはブラヒムの父の世話をしており、その後続いた銃撃により、その父は殺され、ブラヒムも床に倒れる。ヤリニに呼ばれディーパンが駆けつけたときには、ブラヒムも死んでしまっていた。


原題を邦題のようにしたのは正解であった。この映画はまさに、ディーパンの闘い、なのである。他人であるヤリニとの仲は、ようやくフランスに逃れ、アパート暮らしをしていてもギクシャクし続ける。少しずつ事態が変わり、そのつど二人の距離が近くなり、ラストでは、二人の間に男の子ができたことが描かれ、映画としてハッピーエンドにもっていった。この終わりはとってつけたようにも思われるが、製作者として、苦労は報われる、という終わりにしたかったのだろう。3人に笑顔の見られるシーンはわずかで、それも中盤以降のことだ。


初めて来たとき、3人の住む室内は荒れ放題であったが、タイルが剥がれていたキッチンは、タイルがきれいに貼られてカラフルにペイントされている。初め持っていなかった携帯電話も、ラスト近くでは二人が持つようになっている。ヤリニの着る物やイラヤルのベッドの周辺も、少しずつ賑やかになっていった。


ディーパンは、たとえ血のつながった妻や子でなくとも、不良グループの脅しには応じず、二棟のアパートの間に白線を引いて、こちらは発砲禁止区域と宣言するほどに、同じ難民の女と子を、元兵士として必死に守り通すのである。ラストでは、ヤリニに呼ばれたディーパンは、攻撃用の七つ道具を持ち、いきなり敵に向かっていき、銃を奪って応戦する。この程度の<喧嘩>は、反政府分子として活躍してきたディーパンにとっては、朝飯前といった感じだ。そんな若造同士の抗争など、大義名分をもって闘ってきたキャリアからすれば、どうということもない、といったところだ。


故国を去り、カネもほとんどなく、偽装がバレないように気をつけながらの生活・・・・この悲壮感・緊張感は、ラストに至るまで継続する。ここに、警察や入国管理の役人、また、近隣の「親切な人たち」を出さなかったのは正解だ。3人の雑草のように生きていく生活のリアルさにこそ、焦点を当てたかった作品だからだ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。