映画 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』

監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン、撮影:ロバート・エルスウィット、美術:ジャック・フィスク、編集:ディラン・ティチェナー、音楽:ジョニー・グリーンウッド、主演:ダニエル・デイ=ルイス、2007年、158分、配給:パラマウント・ピクチャーズ、原題:There Will Be Blood(=いずれ血で染まる)


ダニエル・プレインヴュー(ダニエル・デイ=ルイス)は山師であり石油を掘り当てて一儲けしようと努力する。油井を掘り当てると、さらに他の土地に石油を求めていく。幼い一人息子H・W(ディロン・フレイジャー)を育てながらではあったが、発掘は順調に進み、新たな土地に行くほど、人手も増えていった。

新たに狙う場所は、サンデー牧場の土地内にあった。サンデー家は貧しかったためもあり、買収に応じた。ダニエルは仲間を呼び寄せて試掘を開始する。数日後、油脈は掘り当てられたが、そのとたんに爆発炎上事故が発生し、作業員一人が死に、採掘を見物していたH・Wは吹き飛ばされて聴力を失ってしまう。・・・・・・


1898年、1902年、1911年、1927年と時代を追って描かれていく。この2時間40分に及ぶストーリーで描かれているのは、ダニエルの生きざまであり、それに影響される息子の生きざまでもあり、教会の実態であり、そして悪そのものでもある。その上で、人の一生が、勧善懲悪というきれいな図式では決して割り切れず、善と悪が必ずしもきれいな裏表の関係にはない、ということの確認であろう。


ダニエル自身の身を粉にして石油を掘り当てたい執念自体をとやかく責め立てることはできない。自身を舐めてかかる大手石油会社の幹部らに噛みつく姿勢もよくわかる。といって、実弟を装って突然現れたヘンリー(ケヴィン・J・オコナー)という男を殺してしまうことが許されるわけではない。ラストで、イーライ・サンデー(ポール・ダノ)との口論から、これを叩き殺してしまうことも許されるわけではない。


善悪や愛情・非情の絡み合った糸の上を、自分にだけは正直に生きてきたのがダニエルなのだろう。イーライを殺したあと、騒ぎを聞いてやってきた執事に、ダニエルは、これで終わった、と言う。H・Wが去り、大きな邸宅内で酒を飲み続けるダニエルは、いろいろないきさつのあったイーライを殺すことで、自分のしたいことのすべてを、やっと「終えた」のである。血まみれで殺されたのはイーライであったが、いずれ血で染まる(There Will Be Blood)のは、野望と自尊心のために、商売はうまくいっても、息子を罵倒して縁を切り、イーライを殴殺したダニエルの今後を暗示しているのだろうか。


石油やガスの噴き上げるシーン、爆発により油井が炎上するシーンの撮影はみごとだ。埋設されるパイプラインのシーン、油井の櫓の組み立てなど、ジャック・フィスク率いる美術班の苦労が偲ばれる。こうしたセットがあってこそ、撮影が評価されるのだ。本作品は、第80回アカデミー賞で、主演男優賞と撮影賞を受賞している。


ただ、内容的に、ダニエルの生きざまに共鳴しうるか、教会やイーライの方法を受け入れられるか、などにより、評価とは別に、好き嫌いが分かれる作品であろう。


日常性の地平

日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。