監督:ラルフ・ネルソン、脚本:ハロルド・メッドフォード、原作:アーネスト・K・ガン、撮影:ミルトン・R・クラスナー、編集:ロバート・L・シンプソン、音楽:ジェリー・ゴールドスミス、主演:グレン・フォード、1964年、106分、配給:20世紀フォックス、原題:Fate Is the Hunter
ジャック・サヴェージ(ロッド・テイラー)機長の操縦する53名乗りの旅客機が、離陸わずか10分で墜落する。左エンジンが爆発し、その後、管制塔との連絡が通信できなくなり、桟橋をぶち壊すように不時着したのだ。ジャックや副操縦士、多数の乗客が死亡し、スチュワーデスのマーサ・ウェブスター(スザンヌ・プレシェット)と乗客二人が助かっただけだった。ボイスレコーダーも破壊されており、当時の状況のわかるのは、管制塔に残されていた交信記録だけであった。
この航空会社の副社長で機長でもあるサム・マクベイン(グレン・フォード)が、マスコミなどから、機長の操縦ミスではないのか、と責任を追及される。一部マスコニによれば、ジャックは搭乗前、近くのバーで酒を飲んでいたというのだ。ジャックはおどけたところのある釣り好きの豪放磊落な人間であるが、搭乗前に飲酒などしない、とサムは信じ、個人的に調査を始める。ジャックとサムは戦争中の同期で、寝食を共にした仲であった。・・・・・・
サムは、飲酒をしていたとされるバーに行き、店主に話を聞くと、ジャックはミッキーという男と飲んでいた、と言う。これをきっかけに、そこから人づてに数人の男女に出会う。その経緯でサムは、やはりジャックはシロだと確信する、しかし、それでは墜落の原因は何だったのか。事故調査委員会でサムは、エンジンの爆発、近くに三機の航空機が飛んでいたこと、通信の切断など、さまざまな要因が重なり、運命的にこの事故は起きた、と発言し、遺族側弁護士から激しい非難を受ける。
散乱した機体を一箇所に集めた格納庫で、サムは偶然ミッキーという男と会う。ミッキーもまたジャックと戦闘機を操縦していたことのある仲間であった。ミッキーによれば、酒を飲んでいたのは自分だけで、ジャックはむしろ自分に禁酒を勧めたくらいだ、とのことだった。サムはミッキーに、調査委員会に出て、今のことを証言してくれ、と頼み、ミッキーは快諾する。
サムは意を決し、自ら操縦席に座り、ジャックが離陸したのと全く同じ時刻に全く同じ重量で離陸し、原因を突き止めようとする。初め搭乗を拒否していたマーサも乗り込み、当日と全く同じようにふるまう。そして原因は意外なところにあることがわかり、墜落原因はジャックの操縦ミスではないことが証明される。
邦題からして、パニック映画と思いきや、原題どおりの内容であった。即ち、墜落事故の原因究明がストーリーの中軸にあるが、本作品は、事故をモチーフとした人間ドラマに仕上がっている。戦後アメリカ映画の本流をなす骨太の人間ドラマが、もうひとつの軸として用意されている。
中盤に、サムとジャックの回想が入るなど、ところどころに回想シーンを入れ、生前のジャックの性格や人となりが理解できるようにしている。ジャックの知人でもあるサリー・フレイザー(ナンシー・クワン)と話すうち、人々は運命に導かれるという考え方もある、と知り、それをそのままサムは事故調査委員会で述べてしまったのだ。
しかしそれでが原因は究明されず、ジャックの操縦ミスとして片付けられてしまう。ならば、全く同じ時刻に自身が操縦し、その運命の瞬間に何が起きるのかを、まさに狩人の目で見てみようとしたわけである。
兵士時代の交流からして、その後同じ航空会社の同僚機長となったジャックが、操縦前に飲酒するなどありえないと信じるサムの信念が貫かれ、時折心折れそうになりつつも、亡きジャックを知る複数の男女からもその人柄について証明され、最後には、少なくとも操縦ミスではないことが判明する。
アメリカ映画にはよくあるテーマであるが、よく練られた脚本をベースにしているので、うったえかけたいものがしっかりと伝わってくる作品となった。ジェリー・ゴールドスミスとしては初期作品だが、彼の音楽にも注目しておきたい。ラルフ・ネルソンとは、この前年のネルソンの映画初監督作品『野のユリ』(1963年)でも組んでいる。
0コメント