映画 『息子のまなざし』

監督・脚本:リュック・ダルデンヌ、ジャン=ピエール・ダルデンヌ、撮影:アラン・マルクーン、編集:マリー・エレーヌ・ドゾ、主演:オリヴィエ・グルメ、2002年、103分、ベルギー・フランス合作、配給 ビターズ・エンド、原題:Le Fils(=息子)


オリヴィエ(オリヴィエ・グルメ)が指導員として働く職業訓練所の木工クラスに、少年院から出所した16歳の少年フランシス(モルガン・マリンヌ)が入ってくる。もうすでに4人の生徒をもっているからと最初は断ったが、その生徒の履歴書を見、よく考えた末、引き受けることにする。フランシスは11歳のとき、オリヴィエのまだ幼い息子を殺しており、そのため5年間の少年院送致になっていたのである。


息子を殺した犯人と偶然出会った男が、どのような心理をもつか、がテーマである。こうしたテーマの映画は、日本でも『イズ・エー(is A.)』(2004年)などがある。ただし、本作品では、加害者側と被害者側が偶然に町中で遭遇したわけではない。訓練所という職場で、指導する側と指導される側として出遭ったのであり、その犯人も成人ではなく、16歳の未成年である。フランシスのほうは、オリヴィエが、殺した子供の親であるとは知らないので、逃走しようとは思わない。こうして、訓練所という限界の定められた空間で、即ち、「オリヴィエとフランシスの世界」が出来、そこにおいて、オリヴィエとフランシスは<共にある>ことになるのである。


オリヴィエの元妻マガリ(イザベラ・スパール)は、他の男と再婚予定で身ごもっている。オリヴィエから、息子を殺した少年が、たまたまうちの木工所にやってきた、と聞かされたときは、かかわりをもたないでほしい、そのことを耳にしたくない、と言ったが、オリヴィエが助手席にフランシスを乗せ、家まで送ろうとすると、何でそこまでするのか、と興奮してうったえるのであった。この質問に対しオリヴィエは、自分でもわからない、と答える。


オリヴィエはフランシスを同乗させ、郊外にある製材所に、木の種類の勉強をしがてら、木材を仕入れに行くことになる。途中のドライブインでフランシスはオリヴィエに、後見人になってほしいと頼む。フランシスの父は蒸発し、母は他の男と親しくなったが、その男には嫌われている、という理由からであった。車中でオリヴィエはフランシスに、なぜ5年も少年院にいたのか聞き出そうとする。フランシスはぽつりぽつりと語り出し、車からカーラジオを盗もうとしたところ、後ろの座席にいた子供に見つかり、もみ合ってるうちに首を絞めて殺してしまった、と言った。


製材所に着き、木材を運び出す作業中、突然オリヴィエはフランシスに、おまえがころしたのは私の息子だ、と言う。驚いたフランシスは森の中へと逃げるが追い付かれ、馬乗りになったオリヴィエはフランシスの首を絞めようとするが、途中でやめ、製材所に戻る。後から来たフランシスも、木材を牽引してきた小型トレーラーに積む作業を手伝う。そこで突然、映画は終わる。


テーマも明確で、それを観る側にうったえかけたい意図も理解できるが、何とも疲れる映画である。カメラを回して撮っているのだから映画には違いないが、ドキュメンタリー映画に近い作品と言える。ドキュメンタリー出身の兄弟監督だから、こんな作品になったのはありうることだ。

全編通じ、一つの例外もなく、カメラは手持ちであり、しかも長回しが多い。その上、映っているのは9割以上がオリヴィエの顔面や頭部で、それがフレームの7割を覆っている。子を殺されたオリヴィエが主役であり、その心の苦悩や葛藤を描くには、こうした方法しかないと思ったのだろうか。固定で撮ることなく、シーンの転換できれいな景色を入れることもなく、常にオリヴィエの顔や頭を映していなければ、狙いとするテーマが観る側に伝わらないとでも思ったのか。

もしこうした狙いがなく、予算の関係もあり、ただひたすらこうした手段をとったというのでれば、とても映画をつくる人の仕事ではない。あるいは、ただ、面倒だったのか。つまり、映像としてエンタメ性がなく、ストーリーの運びにメリハリもないようでは、単に凡庸なドキュメンタリーとして片付けられても致しかたあるまい。


フランシスは少年院あがりの少年として、木工の仕事に、さほど必死になるわけでもなく、といって怠けるわけでもない。自分の息子を殺した犯人だから、オリヴィエも最初から、アンビバレントな感情をもちつつも、フランシスに関心がいったのである。フランシスが他の少年並みにまじめにやっている姿を見れば、将来ある人間として、オリヴィエはフランシスを、他の少年たちと同様に扱うというのも自然ではある。そのあたりのオリヴィエの心境を、彼のアップや長回し、手持ちカメラだけでなく、脚本の工夫や多様なカメラワークで描写するべきであった。


中ほどに、オリヴィエが、元教え子らしき若者ダニーが無駄欠勤したとのことで、母と共にいる店にやってきて母と言い争い、ダニーを外に連れ出して説教する。ほんの一瞬のシーンである。本作品唯一、オリヴィエが、「オリヴィエとフランシスの世界」の<外>に出るシーンであるが、唐突で、どういう演出効果を狙ってそこに入れたのか、必然性がない。これも、ドキュメンタリー映画であるからには、<何でも・いつでも>あり、ということか。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。