映画 『母』

監督:野村芳亭(のむら・ほうてい)、原作:鶴見祐輔、脚色:柳井隆雄、撮影:小田浜太郎、主演:川田芳子、1929年(昭和4年)12月、35分、無声映画(サウンド版)、婦人倶楽部所載。


野村芳亭は野村芳太郎の父である。高峰秀子5歳でのデビュー作でもある。

古い作品なので、ところどころ文字が読みにくいところなどがあるが、大筋は観ていてわかる。


大河朝子(川田芳子)は、夫が急死し、その経営する会社が破産した。朝子には、進(11歳)と春子(5歳)の二人の子があった。生前夫に世話になったという芸者・浜子の口利きで、朝子は大伴邸の女中頭の仕事をもらう。親子三人は、広大な敷地の離れに移る。進は、大伴の長男で同い年の清磨は春子に狡いことをしたとして、清磨と喧嘩になり、清磨を池に投げ落としてしまう。家中の大騒動になり、清磨の母は進に、手をついて謝りなさい、というが進は従わなかった。大伴邸にいずらくなった親子は、とあるアパートに二階に引っ越す。・・・・・・


朝子には、進に木下のおじさん、と呼ばれる男がいて、カネのほうの債務を整理してくれた。山路という男の世話で、朝子は薬局を経営することになる。店は順調に繁盛した。山路は朝子と結婚したいと申し出るが、朝子は、子供の教育もあり、断ってしまう。進はやがて中学をめざすことになり、一生懸命勉強した結果、一番の成績で合格する。一方、清磨は落第した。進の合格祝いにと、木下は家族を大磯の海岸に連れて行く。子供たちが遊んでいる間に、木下は朝子にいっしょになろうともちかけるが、朝子はこれも断った。

やがて朝子は病いに倒れてしまう。進の手をとり、明るく生きなさい、などと言い、臨終を迎えた。木下はアメリカに行く直前、進から電報を受け取り、病床に駆け付けるが間に合わなかった。


タイトルどおり、子を思う「母もの」で、子を思うがため、親切な男たちとの再婚も拒み、さらに力強く生きていこうという矢先に亡くなってしまう。時代を考えれば、30代半ばから40歳前後の親の死というのはざらにあったことだろう。両親とも亡くした小さな子供たちが多くいたことだろう。進も春子も泣きはするが、そのあとのようすは描写されない。母の死のあとでも、子らはその母の愛や慈しみによって、その後もたくましく生きていくだろうという暗示だけである。

夫の死による生活の不安、上流家庭での上下関係など、まだ物心つかない進や春子のぶんまで、それをカバーし社会の盾とならなければならない母の存在。これを、ぐずぐずとウエットな描写によることなく、前へ前へと進むストーリー展開で、観る側にうったえかけてくる。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。