映画 『津軽じょんがら節』

監督:斎藤耕一、脚本:中島丈博、斎藤耕一、撮影:坂本典隆、編集:大島ともよ、音楽:白川軍八郎、高橋竹山、主演:江波杏子、織田あきら、1973年、103分、製作:斎藤耕一プロダクション、日本アート・シアター・ギルド、配給:ATG


じょんがら節とは、青森県津軽地方に伝わる民謡。津軽三味線の伴奏と共に唄われるが、三味線演奏だけの曲弾きでも知られる。冒頭やラストに曲弾き、途中にじょんがら節も聞かれる。日本では歴史的に、東北・北陸地方の日本海側で、盲人の女性である瞽女(ごぜ)が演じた。


五所川原からもバスで2時間以上かかる日本海側の青森県の鄙びた漁村が舞台。

タイトルバックで、じょんがら節の曲弾きをする老婆の瞽女と若い娘の話す姿が映る。娘は、死んでしまった男について告白をしていた。瞽女は、忘れていくしかない、と言う。若い女は全盲でユキ(中川三穂子)と言い、ラストでこのシーンに戻って映画は終わる。


バスから、赤いコートを着た中里イサ子(江波杏子)と、安っぽいスーツ姿の岩城徹男(織田あきら)が降り、バラック小屋のような長屋を探し出す。そこは、イサ子の実家であるが、すでに他人が住みついていたので、別のボロ屋に落ち着く。岩城はイサ子より年下の25歳で、イサ子は岩城を「あんた」と呼ぶ。ヤクザの抗争で敵方の幹部を刺し殺し、イサ子とここに逃げてきたのだ。ところが、この辺鄙な村には、大衆酒場が一軒あるくらいで、他に何もない。あるのは、荒涼とした風景と打ち寄せる波くらいであった。退屈まぎれに岩城が歩いていると、釣りをしているユキに出会う。ユキは、父と母が兄妹であり、その父も自殺したといういわくつきの家の娘であった。・・・・・・


何度か見た映画である。いわゆるATGブームのころの作品であり、織田あきらにとってはデビュー作での主役抜擢であった。西村晃、佐藤英夫、寺田農らの顔ぶれもそろい、脇役でしっかり固められた映画だ。


イサ子は、漁師の父・為造(西村晃)をもつ男と東京に逃げ、その後初めて、岩城の逃走を助けるつもりでここへ帰ってきたのだ。イサ子の父と兄は、沖に漁に出たときに船が転覆して死亡したので、保険金をほしいと保険会社に掛け合うが、転覆直前に他の小さな舟に乗り移ってから死亡したと判断され、ついに死亡保険は下りない。保険が降りたら、遺体も上がらない父と兄の立派な墓をつくるつもりであったが、それはかなわなくなった。村に一軒しかない酒場で働いていたものの、そこの店主・金山(佐藤英夫)の女・晴美(富山真沙子)は、イサ子が預けていたカネまでを含め、すべてのカネを持ち逃げしてしまった。


岩城は不幸な生い立ちをもち、どん底のヤクザの世界からここへ逃げてきただけだが、為造と話すうち、為造の船に乗り、アサリ漁の手伝いまでするようになる。ここにいる男たちは、出稼ぎでみな出て行ってしまうだけに、為造としてもうれしかった。岩城は時折会っていたユキに同情し始める。女に逃げられた金山は、ユキに売春させてカネ儲けをしようとたくらみ、岩城に相談をもちかけ、岩城も応じ、前金として3万円をもらう。


何もかもうまくいかなくなったイサ子は、岩城とともに村を出ようとするが、ユキのことが気になり、良心の呵責に耐えかね、金山の店に行き、もう少しで客に犯される寸前のユキを救い出す。やがて岩城は、ユキへの愛を確信し、肉体関係を結ぶ。ユキに対する岩城の気持ちを知ったイサ子は、ひとり村を出て行く。残った岩城の元へ、ついにヤクザがやってきて岩城はあっさり殺されてしまう。岩城とユキの幸福は束の間の出来事であった。

そして冒頭のシーンに戻り、ユキは涙ながらにじょんがら節の曲弾きを聞くのである。


ヤクザになって人を殺し、女のヒモになり、その女にのこのこ付いて来ざるを得ない、救いようのない男と、男と駆け落ちし、その後別れ、自分より年下のツバメを抱えて、恥知らずにも故郷に戻ってきた女の物語だ。生活は荒(すさ)み、どうしようもない二人が、どうにかこうにか生きていくうち、いろいろな出来事に遭遇し、純粋な愛にめざめた直後に男は殺されて水に浮かび、女はまた放浪の旅よろしく、他の土地を求めて村を出て行く。


当時としては、とても映画のテーマになるような男女ではないのだが、そこに、腐れ縁とも呼ばれそうな男女が、この小さな漁村で、それぞれに新たな発見をするのだ。それは現実の厳しさの発見でもあれば、純粋に人を守りたいという気持ちの自己発見でもある。


カメラは冒頭からラストまで、日本海の荒波を、そのままにとらえ、また、人物の背景にとらえる。常に激しい潮騒が聞こえ、この風景や風土は、人間が置かれたところとしての自然を象徴し、妙な小細工をするまでもなく、そのまま、男、女、処女といった人間の原点を暗示している。

そこに、津軽三味線の音が加わり、地方色を出すと同時に、これもまた、心臓の鼓動のような響きをもって、人間の情の原点を暗示しているのである。

荒涼とした風景、押し寄せる荒波、津軽三味線の音で、男と女の生きざまの原点を演出していると言えよう。


イサ子が岩城に愛想を尽かし、ひとり出て行くとき、岩城に投げかける言葉がある。「あんた、ふるさとが見つかってよかったわね」と。


本作品は、佳作が次々に発表されていた日本映画の全盛期ともいうべき昭和40年代後半、第47回(1973年度)のキネマ旬報日本映画部門で第1位となり、監督賞と主演女優賞も獲得している。キネマ旬報ベスト・テンは、個人的に最も信頼する映画賞である。

日本人と日本映画の神髄を見せてくれる作品だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。