監督:アルフレッド・ヒッチコック、脚本:ベン・ヘクト、アンガス・マクファイル、原作:フランシス・ビーディング『The House of Dr. Edwardes』、製作:デヴィッド・O・セルズニック、撮影:ジョージ・バーンズ、編集:ハル・C・カーン、音楽:ミクロス・ローザ、主演:イングリッド・バーグマン、グレゴリー・ペック、1945年、111分、配給:ユナイテッド・アーティスツ、原題:Spellbound
精神科医コンスタンス・ピーターソン(イングリッド・バーグマン)の勤務する精神科医院では、院長のマーチソン(レオ・G・キャロル)に代わり、新たな院長としてエドワーズ博士を迎える。歓迎の食事会でコンスタンスの隣に座った彼(グレゴリー・ペック)は、彼女が話の最中に、フォークでテーブルクロスに線を描くと、そのことに反応し気分を悪くする。エドワーズ博士のサイン入りの本のサインとこの男との筆跡がまるで違うことから、コンスタンスはこの男がエドワーズ博士ではないと見抜き、男もそれを認める。男は小さい頃の出来事がもとで、エドワーズ博士を殺したと思い込み、その前後の記憶を喪失しており、自虐的に罪悪感にとりつかれていた。この男と愛し合うようになっていたコンスタンスは、彼の無罪を信じ、分析医として、また、恋人として、彼を励ましつつ、失った記憶を取り戻そうと必死になる。
警察の捜査が及ぶ前に、二人は、コンスタンスがかつて世話になった恩師アレックス・ブルロフ博士(マイケル・チェーホフ)の住居に身を寄せる。ブルロフは、コンスタンスが恋をする女性として彼に対し冷静さを欠いていると批判したが、彼女の熱意に押し切られ、いっしょに彼の記憶を取り戻すことに協力する。やがて男は、ジョン・バランタインという自分の名前を思い出す。・・・・・・
コンスタンスとジョンが出会ってすぐ恋に落ちたり、エドワーズ博士を殺した真犯人が判明するくだりは、随分と性急な展開である。それだけに、コンスタンスとジョンとの会話シーン、コンスタンスとブルロフの会話シーン、ジョンが記憶を取り戻そうとするシーンに時間をかけたのであろう。
原題の spellbound とは、魔法にかかった、魅せられた、といった意味であり、ジョンの記憶喪失と、その記憶を取り戻すために熱心になるコンスタンスの状況の双方を暗示したものであろう。
ジョンの記憶喪失は、スキー場でエドワード博士が殺害されたことから、白い背景に筋が入ったものを見ると、そのときの恐怖を思い出さないようにと、記憶を失うほうへ心が作用しているのであった。記憶をたどるときに登場する多数の目は文字通りぎょっとするシーンであったろうし、画面いっぱいの巨大な目は、サルバドール・ダリの協力で仕上がったものであり、その目を大きな鋏で切り裂くシーンは一瞬であるが生々しい。
エドワード博士が亡くなったことで、院長を続けることになったマーチソンと、コンスタンスとの最後の会話は息詰まるシーンであり、ラストに拳銃がカメラ側を向いて発砲される撮り方は新鮮だ。これは、ジョンが牛乳を飲むときにも使われた手法だ。カメラが牛乳を飲むジョンの口になっており、減っていく牛乳を入れたグラス越しにブルロフの姿を映している。
カメラワークとして特段新鮮なものはない。固定を中心とし安定感があるが、記憶を戻すときなどジョンの頭に徐々に寄って、そのまま記憶のイメージに重ねている。
特筆すべきはむしろ音楽だろう。本作品は、イメージや記憶喪失と喚起をテーマとしているだけに、会話だけでは効果が薄い。心理的に動きがあるときをはじめ、少しの間でも常に効果的な音楽が流されている。音楽は使い過ぎると邪魔であるが、本作の場合は使い過ぎくらいであったのがちょうどよかった。
ミクロス・ローザは、『深夜の告白』(1944年)、『失われた週末』(1945年)などで知られる作曲家であり、本作品ではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番や第3番を思わせるような幻想的な旋律が流され、また、ロシアの発明家レフ・セルゲーエヴィチ・テルミンが発明した世界初の電子楽器テルミンが使われていることでも知られる。
0コメント