映画 『泣蟲小僧』

監督:豊田四郎、製作:重宗和伸、脚色:八田尚之、原作:林芙美子、撮影:小倉金弥、美術:河野鷹思、録音:奥津武、音楽:今澤将矩、主演:林文雄、1938年(昭和13年)、81分、提供:東宝映画


秋も終わるころ、庭の落葉を箒で片付けている少年がいる。そこに風が吹くので、掃いたところにまた、落葉が降ってくる。少年は啓吉(林文雄)、11歳で、父は亡くなり、母・貞子(栗島すみ子)、妹と暮らしている。この家には時折、「おじさん」がやってくる。母の新しい男である。母には、新たな家族として、「おじさん」を啓吉と親しくさせようというつもりはない。小鳥の好きな啓吉が、巣箱に飼っていたすずめを、勝手に逃がしたのも「おじさん」であった。

母は、すぐ下の妹・寛子(逢初夢子)の家を訪れ、新たに喫茶店を開くから、一週間ほど啓吉を預かってくれ、と頼む。寛子は、自分のところは生活が安定しているわけでもないので断るつもりだが、自分からは姉に言い出しにくくく、夫の勘三(藤井貢)から断ってくれ、と言う。貞子と二人になった勘三は、結局引き取ることにしてしまった。これを知った寛子は怒り、啓吉の面倒は勘三がみることになった。勘三はもの書きであったが、なかなか小説が売れず、勘三の世帯も経済的に困難だった。勘三は啓吉を連れて、街中をぶらつく。

出版社に小説を持ち込んだ勘三は、とりあえずの交通費としてもらったカネで酒を飲みに大衆酒場に入る。脇の座敷で眠ってしまった啓吉は、勘三がトイレに行ったときに目を覚まし、勘三を探しに外へ出て行ってしまった。

尺八吹きの男・水山竜山(山口勇)の家で、ご飯を食べる啓吉。その男が、金沢にいる妻と子への贈り物の宛名書きをしているのを見て、啓吉はめそめそする。竜山は啓吉を励ますため、男の子はすぐ泣くもんじゃない、そういうときは「箱根八里」を歌おう、と励ます。・・・・・・


啓吉という少年が、母の都合で妹の家に追いやられ、外をさまよう話である。終盤、母はわざわざ啓吉の学校に来て、体育の授業中にもかかわらず啓吉を呼び出してもらう。母は啓吉に、寛子宛ての手紙を渡す。すなわち、「おじさん」としばらく九州に行くので、寛子夫婦のところに啓吉を託すということだ。遠いところ?と尋ねる啓吉に、頷く母。だが、すぐ戻ってくるからという母の言葉の裏には、成り行きによってはそのまま帰ってこない、というニュアンスがある。


母のさらに下の妹で独身の菅子(梅園竜子)の家に泊まったとき、あんたのいちばん好きな人は誰?、と聞かれ、啓吉は、おかあさん、と答える。どんな仕打ちをされようと、叔母の家をたらい回しにされようとも、好きなのはやはり母なのである。


啓吉が自宅に帰ってくると、家の中には家具などもなく、もぬけの殻となっていた。そのとき口をついて出てきたのが「箱根八里」の歌であった。家を後にしようとすると、枯れ木に、取り込むのを忘れたであろう母の足袋が干してあるままだった。もう一度初めから「箱根八里」を歌い始め、遠くに去っていく啓吉の姿を、場所を動かずズームアップもしないままのカメラでとらえ、映画は終わる。


昭和13年に描かれたこうした問題は、その後も、そして、遍く日本社会あるいは国際社会の問題にもなった。こうしたテーマを、原因の追究や解決策の模索などのほうへもっていかず、また、社会に対する物言いなどにもせず、一本の映画としてまとめた手腕はみごとだ。


中核のテーマに加え、四姉妹の生活ぶり、街並み、住宅の構え、家屋の中のようすなどをはじめ、飲み屋を回る長し一家、あるいは、空に上がる凧、空を舞う複葉機なども取り入れており、当時の世相や風俗・衣装を知るという意味でも貴重なフィルムだ。

啓吉役の林文雄は演技力もあり、本作品にふさわしい顔立ちのキャスティングであった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。