監督:成瀬巳喜男、製作:藤本真澄、脚本:井手俊郎、松山善三、撮影:安本淳、照明:石井長四郎、音楽:斎藤一郎、主演:原節子、三益愛子、1960年5月、122分、カラー、配給:東宝
坂西家に、嫁に行った長女・早苗(原節子)が、夫婦喧嘩をしたといって戻ってきていた。坂西の家は、早苗の兄で長男の勇一郎(森雅之)・和子(高峰秀子)夫婦と、勇一郎と早苗の母・あき(三益愛子)、夫婦の子・義郎(よしお、松岡高史)の他に、あきの三女・春子(団令子)が住んでいる。二女・薫(草笛光子)は谷英隆(小泉博)に嫁いでおり、英隆の母(杉村春子)と同居、二男・礼二(宝田明)は独立し、年上の妻・美枝(淡路恵子)と住んでいる。
早苗の嫁ぎ先である日本橋の家から電話があり、早苗の夫がバスの転倒事故に遇い、死亡した。不在中にそんな出来事があり早苗は後悔の念に駆られつつ、葬儀に参列する。早苗はそこから追い出されるように実家住まいとなる。それでも和子は、早苗を義理の姉として丁重に接するのであった。・・・・・・
坂西の家に、悲喜こもごもにいろいろな事態が起きる。夫の死により嫁に行った娘が戻ってくる、兄弟やその妻があきの還暦祝いに集まる、春子の勤め先の醸造会社の地元・山梨で、礼二やその親友の醸造技師・黒木信吾(仲代達矢)らと「恋愛シーン」の撮影ごっこを行ない、その8ミリを還暦祝いの後に皆で見る、勇一郎が大金を貸していた和子の叔父・鉄本庄介(加東大介)の工場が破産する、そのカネは勇一郎が母親にも内緒で自宅を抵当に入れてまでしてつくったものであった。
一方、薫は姑との同居に嫌気がさし、英隆と出て行く姑に迫ると、姑のほうが憤って老人ホームに逃げ出す。そのために、当座必要なカネを早苗に借りる。
こうして、それぞれに家にもいろいろな出来事があったあと、いよいよこの家を手放さなければならなくなると、母・あきの処遇をどうするかという問題が起き、兄弟が集まって相談をする。あきは薫の姑に会いに一度老人ホームを訪れたことがあり、自らそうしようとも思う。和子は、あきを放っておけないとし、自分たち夫婦で引き取ろうと勇一郎にもちかける。早苗は、友人の保険外交員・戸塚(中北千枝子)がもってきた五条(上原謙)との縁談を進め、あきにも一緒に来てもらおうと考える。五条は京都在住の茶道の家元で格式高い家柄であった。
ラストで、当のあきは、近くの公園で幼子のお守りの手伝いをする老人(笠智衆)との会話から、それなら自分にもできそうだと思い、老人のあやす子供を自分が抱いてみるのだった。
女性中心の映画が多い成瀬であるが、本作品では、妻とその母、つまり姑、妻と小姑、また、母からみた娘たちの姿が、それぞれ抱える問題とともに描かれる。以上のような出来事が起きるなかで、母と娘、妻と姑が、それぞれ慈しみ合い、三女の春子がいちばん言いたいことを言うとすれば、それ以外の女たちは、むしろおのれの言いたいことを多少遠慮してでも、母に対する思いやりをかかさず、周囲が円満に進むよう努めている。
本作品はカラーであるが、家やその前の路地、台所や畳敷きのへやなど、かつての典型的な日本家屋が映し出され、とても懐かしい風情を楽しめる。出演者も、春子や美枝以外の女性は、常に和装であり、日常のなかであたりまえであった昭和30年代が偲ばれる。あきの還暦祝いには、兄弟みんなが贈り物をするが、礼二・美枝夫婦が贈ったものは、四つの丸い足が付いた電気式マッサージ機であり、かつて我が家にもあった物で懐かしい。
他方、成瀬の作品には、きれいな女優の登場と同時に、常にカネの話が出てくる。勇一郎は、投資に回すとして早苗にカネを借りる。薫も、アパートを借りる当座の資金を早苗に借りる。早苗は、夫の死亡保険金で100万円を所持していることがわかったからだ。家を売却するについても、小賢しい春子をはじめ、兄弟は、自分たちがいくらもらえるのか皮算用する。
本作品でおきる出来事は、多かれ少なかれ、どこの家庭にも起きることだ。成瀬映画では、毎度借金の話が出てくるが、それを含め、カネの話は、人間が生活していくうえで避けて通れない。
当時の豪華な俳優陣を集め、気品ある所作・言葉の美しさ・礼儀作法・食卓での会話など、現在の日本社会が忘れがちな要素がたくさん詰まっている作品に仕上がった。しかも、それらを丁寧なカメラワークで撮っている。カメラはほとんどが人物の目線の高さで撮られている。
ただ、当時、こうした映画がどれくらい受け入れられたかわからない。当時の美人スター・イケメンスターを出すことで一定の人気は呼んだであろう。それでも、当時の他の監督とは異なり、女性を中心としてその日常の姿を「映像」でありのままにとらえていく、・・・そうした信念を、他の作品より強く感じる。本作品の直前に『女が階段を上る時』(1960年1月)が撮られている。
1960年といえば、安保改定の年であり、それは6月に迫っていた。世の中は政治面では騒然としていた。そうした時期に、日常生活における女性の美しさ・気品・思いやりなどと撮り続けたのだ。
俳優の演技では、日常の所作ほど難しいものはないと言う。演技合戦、正確には、表情の演技合戦が見られるのも楽しい映画なのである。
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