映画 『まともじゃないのは君も一緒』

監督:前田弘二、脚本:高田亮、撮影:池内義浩、編集:佐藤崇、照明:岡田佳樹、美術:松塚隆史、音楽:関口シンゴ、主演:成田凌、清原果耶、2021年3月、98分、配給:エイベックス・ピクチャーズ。


予備校の数学の講師・大野康臣(成田凌)は、結婚願望はあるが、世間知らずで、「普通」の会話ができない性格。大野に個人指導を受けている高校3年の秋本香住(清原果耶)は、恋愛の雑学的知識だけはあるので、そんな大野を小ばかにしている。

このままでは大野は結婚どころか恋愛もできないで一生を終えると感じた秋本は、大野に恋愛の練習をさせようと、自分のあこがれの人物である宮本功(小泉孝太郎)の婚約者・戸川美奈子(泉里香)を練習台に選ぶ。宮本は、子供たちの未来を熱く語る教育ビジネスの新領域を開拓しようとする男であり、美奈子の父とのビジネスに熱心だ。美奈子は、宮本が自分の父親の力を借りるために自分と結婚するだけではないのか、と訝りつつも、この結婚を受け入れようとしている。心に隙間風の吹くそんな美奈子であったため、恋愛の練習としてお近づきになった大野と、「普通」の恋愛に陥りそうになる。それを傍目で見ていた秋本は、大野に恋愛の練習をさせたのは自分であったにもかかわらず、自分が大野を好きであることに気付く。・・・・・・


たいしたことないだろうと思って見始め、実際そんな出だしではあったが、次第にコメディタッチの会話に促され、実は、用意周到に書かれた脚本と展開のテンポにとらわれ、観終わってみると、好感をもてる作品という印象をもった。


脚本の高田亮は、『そこのみにて光輝く』(2014年)、『銀の匙 Silver Spoon』(2014年)、『きみはいい子』(2015年)、『武曲 MUKOKU』(2017年)などを書いており、会話劇のような台詞の掛け合いを書くのがうまい。本作品は、かなり台詞に頼る映画なので、この運びや言葉遊びができていないと、おもしろくなくなっていただろう。

そこに、掛け合いのタイミングやカメラの演出が加わって、成田凌曰く「この映画のジャンルは分からない。恋愛映画でもなければコメディ映画でもないし、学園ものでもない。観る方の判断に委ねようと思います」といった作品が出来上がったのだろう。


そのカメラだが、あまり細かなカットでつながず、定点長回しを含め、あまり動かず、固定中心で撮ったのがよかった。軽妙な会話が多い作品であまりカメラが動き過ぎると、そのおもしろみが半減されてしまうからだ。といっても、ここは横移動、ここはカットを重ねる、といったメリハリがあり、映像のシークエンスとしても観客を飽きさせない工夫がみられる。

カメラに関してもうひとつ気が付くのは、人物をあまり凝って撮らないところだ。常に日常の目の高さで被写体が映されるので、疲れず、無意識に安心して観ていられるのである。これは撮影に手を抜いているということではない。妙に仰角・俯角やクレーン撮影を入れたり、パンアップ・パンダウンを使い過ぎたりすると、ストーリー展開のテンポに水を差してしまう。そうした内容、そうしたシーンなら適切だろうが、本作品ではそこまでする必要がなく、適切な選択であった。それでも、観ているとわかるが、かなりきめ細かいカメラワークのシーンもあり、事前にかなりのテストやリハーサルを繰り返しただろうと想像される。


主演の成田凌、清原果耶の演技力も注目されてよいだろう。台詞が多く、掛け合いも多く、長回しも多いが、演出もよく効いており、決めるところはピタっと決まり、観ていて気持ちがいい。


それにしても、ストーリーの運びがよくできており、全体にうまくうねりをもたせてラストまで牽引してくれる。一種の恋愛ものには違いないが、そのなかでは新たなジャンルの映画と言っていいだろう。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。