監督:ジェームズ・グレイ、脚本:ジェームズ・グレイ、マット・リーヴス、撮影:ハリス・サヴィデス、編集:ジェフリー・フォード、音楽:ハワード・ショア、主演:マーク・ウォールバーグ、2000年、115分、原題:The Yards(=操車場)
『アド・アストラ』(2019年)の監督だったんだね。フェイ・ダナウェイに似てる女優が出ているなと思ったら、フェイ・ダナウェイ自身だった。
ニューヨーク市クイーンズ区を走る地下鉄内。自動車窃盗の罪で刑務所に服役していたレオ・ハンドラー(マーク・ウォールバーグ)は、一年半ぶりに出所し自宅アパートに向かう。母(エレン・バースティン)は、その姉(フェイ・ダナウェイ)やいとこたちを招いて、出所祝いのパーティをしてくれた。レオに父はなく、女手一つで育ててくれた母を悲しませないため、今度こそまっとうな人生を歩むと心に決め、叔父であるフランク・オルチン(ジェームズ・カーン)に、その経営するエレクトリック・レール社の機械工として就職することを勧められるが、そのためには学校に2年間通う必要があり、母をすぐにでも楽にさせたいレオはその話に躊躇する。
すでにフランクの会社で働いていた悪友のウィリー・グティエレス(ホアキン・フェニックス)は、レオに仕事を世話すると称し、自分の「仕事先」へ案内する。その仕事とは、不正を働いて、役所からリベートを受け取ることであった。レオは悪いことと承知しながら、徐々にウィリーと行動を共にする。
ある晩、ウィリーは、レオや仲間と共にエレクトリック・レール社のライバル会社の操車場に侵入し、ライバル会社の車輛を故障させようとする。ウィリーは主任に賄賂としてチケットを渡すが、主任は相手先にすでに買収されていてウィリーらの行動に目をつむることをせず、逆に警報を鳴らしてしまう。思い余ったウィリーは、その場で主任を刺し殺す。一方、見張り役であったレオは逃げる間もなく、警報を聞いて駆けつけた警官と揉み合いになり、警官を殴り倒してしまう。・・・・・・
たいへん生真面目に撮られた映画であるので、エンタメ性という観点からすれば、あまり楽しめない作品ではあろう。しかし、シリアス一辺倒に徹し、余計な笑いやコメディタッチの台詞を入れない点は評価してもいいと思う。
レオは母一人子一人でしかなく、その母は心臓に持病をもっている。叔父は、経営するレール会社の利権のために、不正を承知で若者らの悪事を黙認し、区から得たリベートをその若者らと山分けしている。悪友との友情を大切にしながらも、裏切られたと知るや、その報復に出る。そして最後は、自らの濡れ衣を晴らすために区と取り引きを行ないながらも、衆人環視のもと、区や叔父の会社の不正を暴く。
レオは口下手で、一見箸にも棒にもかからぬような青年で、すぐ悪事に染まるような一面をもちながら、操車場の一件をもって、周囲がみな、自己中心的な人物ばかりで埋め尽くされてるのに気付くのだ。正義との戦いといった大げさなものではないが、レオという優柔不断な男でも、そうした行為に出られるという物語だ。
こうしたストーリー展開は、得てして一本調子になるきらいがあるが、本作品では、レオの生きざまを、その母への思いとの軸で、相互に揺らしながら進めている。無論、画面上では、レオを中心とし、ウィリーやフランクらの出番が多いが、一件の後も、適宜、母との会話シーンが登場するため、一本調子にならずに済んでいる。
本作品の主張が何かと問われると、最後には入札の不正までも暴くレオという青年の「正義への目覚め」物語とも言えようが、もっと広く、レオという、ややどうしようもない若者の、「多忙な日常」物語ということになるだろう。
いつもながら、ハワード・ショアの音楽は、本作品でも当意即妙だ。
0コメント