映画 『不毛地帯』

監督:山本薩夫、脚本:山田信夫、原作:山崎豊子『不毛地帯』、撮影:黒田清巳、編集:鍋島淳、音楽:佐藤勝、主演:仲代達矢、丹波哲郎、1976年、181分、製作:芸苑社、配給:東宝


山崎豊子の長編社会派小説『不毛地帯』の前半に該当する部分の映画化。

壹岐正(いき・ただし)は、帝国陸軍の元中佐で、陸軍士官学校を首席で卒業し、大本営の作戦立案参謀を務めた元軍人である。終戦の詔勅に対し、参謀総長の命令書が出されていない以上武装解除に応じる必要がないとする関東軍への説得のため満州に飛ぶ。直前に出発していた川又(丹波哲郎)の乗る飛行機がソ連に攻撃され、川俣は負傷して途中で帰ってきたので、これに代わり壹岐が行くことになったのである。ところが、壹岐は日ソ中立条約を犯して侵攻してきたソ連軍に拘束され、囚人としてシベリアに送られてしまう。

11年後帰国した壹岐は、その後も二年間、特に何をするでもなく過ごしてきたが、ようやく再就職することにした。就職先は近畿商事という商社であった。社長の大門(山形勲)は、大きな商いとなる航空自衛隊の次期主力戦闘機選定に関し、壹岐の経歴を活かすべく三顧の礼をもって壹岐を迎えた。近畿商事は次期戦闘機として、ラッキード社の戦闘機を推していた。そのころ川又は、自衛隊の空将補となっていた。・・・・・・


壹岐のシベリア抑留のプロセスや過酷な体験という回想シーンを入れながら、近藤商事に入社してしばらくのようすが前半で描かれ、休憩をはさみ、後半では次期戦闘機選定で実力ぶりを発揮する壹岐の姿が現在進行形で描かれていく。

壹岐の戦いは、ライバル会社のみならず、防衛庁内部や政治家にも及ぶが、その能力を発揮し、きわどいところで次期戦闘機は、近藤商事の押すラッキード社に決定する。川又は防衛庁官房長・貝塚(小沢栄太郎)から、ラッキードを推していたことや、防衛庁内部の機密が近藤商事に漏洩したことの責任を問われ、自殺する。壹岐自身も、漏洩をそそのかした疑いで、警視庁の事情聴取を受ける。そうした経緯もあり、機種選定後、いろいろな策謀うずまく商社の仕事に愛想を尽かしたこともあり、壹岐は近藤商事を退職する。


シベリア抑留の辛い経験と、その実力を買われた壹岐の戦後の活躍がテーマとなっているが、『白い巨塔』や『華麗なる一族』と異なり、壹岐というひとりの人間の「心のドラマ」を中心に描かれていくので、話があちこちに飛びながらも、長編ということもあり、一本調子になってしまった憾(うら)みがある。

シベリア抑留部分は、これでもかなり省略されているようだが、さらに焦点を絞り込み、壹岐と川又、壹岐と家族を二本の軸にして描いたほうがよかったのではないか。長編を脚本に直す苦労は想像されるが、ややダラダラ感がつきまとってしまう。単純にライバル会社や反ラッキード派を壹岐の対象に置けば、たしかに陳腐な構成になってしまうが、エンタメ性が失われてしまったのは残念だ。

ロケやセット、ロシア人の起用など苦労は偲ばれるが、各シーンの並列つなぎになってしまったきらいがある。


また、壹岐の回想のなかに、開戦の最終責任者は天皇であるはずだ、というロシア人将校の言葉があったり、壹岐の娘(秋吉久美子)に、憲法は戦争を放棄したのに戦闘機を買う仕事なんかして、といった台詞があるなど、日本史の肝心な部分にかかわる出来事を、言葉で簡単に主張してしまっては、映像で製作する仕事をする者としては、薹(とう)が立ってきたと言わざるを得ない。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。