映画 『極道の妻たち 赫い絆』

監督:関本郁夫、原作:家田荘子、脚色:塙五郎、企画:日下部五朗、撮影:木村大作、編集:荒木健夫、音楽:小六禮次郎、美術:内藤昭、照明:安藤清人、録音:堀池美夫、主演:岩下志麻、宅麻伸、1995年、114分、配給:東映


キャッチコピーは、「決着(けじめ)は、わてがとらして貰います。」


大阪の堂本組は、組長の堂本増吉(内田朝雄)が病気を理由に引退、娘・きわ(岩下志麻)の夫で若頭補佐の久村(くむら)修一郎(宅麻伸)が後を継いだ。きわは襲名披露が行われるホテルの着付け室で、対立組織である三東会組長(萩原流行)の弟の後藤信治(古田新太)に襲われ、きわが信治の顔面を切り付け、修一郎は信治の子分を射殺してしまう。組を守るため村上徳一(渡辺裕之)が身代わりとして逮捕され、懲役12年の刑に服し、きわも懲役5年の実刑となる。

抗争に発展しないよう、きわは、組長の妻として、修一郎と離婚することで責任を取り、5年後に出所すると、堅気の一人の女として、スーパーマーケットで働く。一方、修一郎は元ホステスの眉子(鈴木砂羽)と再婚したが、ドリームランドの建設用地買収事業に進出するため、きわや増吉の所有する土地・家屋を売却して資金を作らなければならなくなっていた。そんななか、入院中の増吉が何者かに射殺され、組の中では三東会の仕業とする意見が高まるが、ドリームランド建設の窓口役の社員(西田健)からは、買収事業に関し、ヤクザ組織が絡んでいることが世間にバレないようにするため、抗争などは一切起こさないよう、釘をさされていた。・・・・・・


他のシリーズと違い、抗争メインではなく、抗争を我慢し、そこに、組の元姐の<けじめ>を絡めたストーリーとなっている。修一郎は、元組長の娘婿という間柄という設定や、新事業のためという条件つきで、抗争シーンはそれほど派手でない。それに替えて、修一郎ときわの気持ちの行き交いが、中央に投げ込まれた脚本展開となっている。


資金確保のため修一郎が、堂本組を三東会に身売りしてもなお、親分のしたことに従わなくてはならない、という組員の怒りなど、溢れるほどに溜まった彼らのエネルギーは、終盤まで持ち越され、どでかいラストが用意されていなくてはならなくなる。そして、文字通り、ラストシーンにはきわによる派手な立ち回りが用意されているのだが、果たしてその立ち回りが、そこまでの展開と釣り合いがとれているかというと、少々物足りない。


さらに、一件落着したかと思いきや、冒頭にも出た観覧車の下で、きわは、極道の女として、元夫である修一郎も射殺する。すべての責任は、おまえさんにあるのだから、というわけだ。きわが眉子に言った台詞が思い出される。「仇を殺そうなんていうのは堅気のすることや。極道は、けじめを通すためには、好きな相手でも殺す。」


女性の映るシーンも多く、きわの着る衣装も美しく、男女や親子の心情の行き交いを盛り込み、若い組員にも焦点を当てたのはよかったが、それだけに、全体的には、やや気の抜けた作品となってしまった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。